祭 神:野椎命またの名を鹿屋野比売 説 明:境内案内板を引用します 「御祭神の野椎命(のづちのみこと)は、伊邪那岐命御子で、野を司られる。またの名を鹿屋 野比売(かやのひめ)という女神で、今の薩摩の阿多郡に住んでおられた。 夫神に従い、日向から西海道を伊勢へ出られ、淡海国の日枝の山に来られる道すがら、山野 の物・甘菜辛菜に至るまで霊感を示された。 そのために邪神たちは、そのお姿を見るや平伏し、拝したと口碑にある。 『故郷鎮守の森亀岡神社誌』より 創立 当社建立はかなり古いが、詳しいことはわからない。 天正年間(一五七三年~一五九二年)、明智光秀の丹波平定のころ兵火により焼失し、江戸 後期に再建される。 元文五年庚申」の年、(一七四〇年)記銘(鳥居・燈籠)が長い歴史を物語っている」 住 所:京都府亀岡市千代川町千原安田48 電話番号: ひとこと:薩摩の阿多郡に住んでおられたというのが気にかかります。 あだ(吾田)姫といえば、木花開耶姫の別名でもありますしね。 彼女はいったい、なんのために伊勢に出たのでしょうか? 私たち現代人の感覚で言えば、伊勢=神宮でしょう。 でもそれは、そんなに古い感覚じゃないように思います。 伊勢ってね。 本当に綺麗なリヤス式海岸。 景色もいいけど、それ以上に良い漁場だったでしょう。 いろいろな豪族がその地を争ったろうと思います。 だから、鹿屋野比売の時代、伊勢が誰の支配地だったのかはわかりません。 あるいは、鹿屋野比売の同族が支配していたのかも。 ちなみに甘菜辛菜とは、あらゆる野に生える野菜の意味でしょう。 甘菜は葉野菜。 辛菜は香辛料になる野菜。生姜とか茗荷などでしょう。 それに霊感を示した……というのは、豊作をもたらしたのか、その逆か。 あるいは、多くの野菜の育て方を知っていて、教化しながら伊勢へ向かったのか。 式内社ではありませんが、相当古い神社ではないかなという気がしますです。はい。