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富士山本宮浅間大社

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  祭  神:浅間大神
  説  明:ご由緒書を転記します。
      「御祭神
      『天地の別れし時ゆ噛みさびて高く貴き駿河なる云々』と萬葉歌人が詠じた富士
       の高嶺を御神体として神鎮まります、富士山本宮浅間大社の御祭神は、畏くも
       浅間大神と御名をたたえまつる、木花之佐久夜毘売命にまします。命は大山祇
       神の御女で天孫瓊々杵尊の皇后におたちになられ、その貞節は日本女性の亀鑑
       として国民の敬仰するところであるが、あまねき御神徳の内、火難消除・安産・
       航海・漁業・農業・機織等の守護神としての信仰が特に著しい。
       御由緒
       第七代、孝霊天皇の御代、富士山が噴火し鳴動常なく人民恐れて逃散し、年久
       しく国中が荒れ果てたので、第十一代垂仁天皇は其の三年に浅間大神を山足の
       地に祭り、山霊を鎮められた。
       これを当浅間大社の起源とする。ついで第十二代景行天皇の御代、日本武尊が
       東夷御征伐の時、駿河国に於いて賊徒の野火に遇われたが、富士浅間大神を祈
       念して其の災をのがれ給い、その賊を征服するや、山宮の地(大宮の北方約六
       キロ)に於いて篤く大神を祭られた。其の後第五十一代平城天皇の大同元年、
       坂上田村麿を奉じて現在の大宮の地に壮大な社殿を営み、山宮より遷し鎮め奉
       った。爾来一千百余年全国一千三百余に及ぶ浅間神社の総本社として全国的崇
       敬をあつめる東海の名社となっている。
       古来朝廷の御尊崇極めて篤く、延喜の制には明神大社に列し、駿河国一宮とし
       て勅使の奉幣神領の御寄進にあずかり、武家時代に入るや源頼朝は神領を寄進
       し、北条義時・足利尊氏同義持等、何れも社殿を修営し、武田信玄・同勝頼父
       子は諸種の宝物を献上し、社殿を奉建し、豊臣秀吉も亦神領を寄進した。慶長
       九年、徳川家康は戦国擾乱の鎮静と将軍宣下の奉賽のため、本殿・拝殿・楼門
       その他を奉建し、更に同十一年には富士山八合目以上を当社へ寄進した。
       爾来徳川氏は本社を崇敬すること極めて深く、家光は社領を献じ、家綱・綱吉・
       家治・家斉・家定・家茂も夫々祈祷料・修理料を寄進した。
       又室町時代に始まった富士登拝は、江戸時代に入っていよいよ殷盛を極め、以
       来今日に至っているが、本宮所在の大宮は富士山表口と称せられ、関西方面か
       ら来る道者の登山口たることは勿論、特に本宮を崇敬する関東・東北の道者も
       この道を選び、又甲斐、信濃より来る道者も少なくなかった。彼等は社人中特
       定の道者坊に着いた後本宮に参詣し、更に境内の湧玉池にて斎戒沐浴して登山
       するのを習いとした。
       明治に及んでは其の四年五月十四日、国幣中社に、同二十九年七月八日、官幣
       大社に列せられた。」 
  住  所:静岡県富士宮市宮町1−1
  電話番号:0544−27−2002
  ひとこと:なんにせよ、富士山という山は、美女と縁深いお山であるようです。

       この神社の御祭神である木花佐久夜毘売命は、瓊々杵尊が一目惚れしたほどに
       初々しく美しい少女でありました。

       また、林羅山の「本朝神社考中之四『富士山』」では、このお山とかぐや姫の
       関係を説明しています。

       大綱村に住む鷹飼いの翁と、犬飼いの媼は、後に、乗馬村に移り住み、箕を作
       って暮らしておりました。
       ある日、箕を作るべく、翁が竹を割ると、そこに小さく可愛らしい女の子がい
       たので、家に連れ帰り、育てます。
       そう。それがかぐや姫。
       これは、一般に流布するかぐや姫伝承と同じですね。

       しかし、その後、天子様からのお召しがあると、かぐや姫は、富士山へと逃げ、
       岩窟に隠れるのです。

       そこに、天子様が追いかけてくると、姫は岩窟の中に導き入れました。

       そして・・・その後、富士山を浅間の大神と号することになったと物語は結ば
       れています。
       また、翁は愛鷹明神・媼は飼犬明神として尊崇されました。

       この物語では、かぐや姫は、男性を拒んだのではないようです。

       求婚を受けた女性が、とりあえず逃げるというのは、神話の中では珍しくあり
       ません。

       例えば、播磨国風土記は印南郡「含芸の里」の項にこんな話しがあります。

      「郡の南の海中に小島がある。名を南び(田ヘンに比)都麻(なびつま)という。
       志賀の高穴穂の宮に天の下をお治めになった天皇(成務天皇)の御世に、丸部
       臣らの始祖比古汝茅を遣わして国の境界を定めさせた。その時、吉備比古・吉
       備比売の二人が出てきてお迎えした。そこで比古汝茅が吉備比売をめとって生
       んだ児が、印南別嬢(いなみのわきいらつめ)である。この女性の容姿の端正
       なことはその世にすぐれていた。その時、大帯日古天皇(景行天皇)は、この
       女性をめとりたいと思われ、ここに下っておいでになった。別嬢はこれを聞い
       てすなわち前記の島に逃れてここに隠び(なび)ていた。だから南び都麻とい
       う」

       どうでしょう?
       かぐや姫の話しととても似てますよね。

       沖縄では、随分最近まで結婚の決まった娘が夫から逃げる風習があったとか。

       それは拒否ではありません。
      「儀式」
       なんですね。

       なぜ逃げるのか。
       それはいろいろな理由があるのではないでしょうか。

       池田弥三郎氏は、そのことを、
      「そもそも女性は神の嫁であった。それを人の嫁になるわけだから、すんなり受
       け入れては、神に申しわけが立たない。だから、求婚を受けるためにはまず、
       逃げるのである」
       なんて風に説明されています。

       また、男を拒むことは、その女性の貞節さを証明することになるのかも。
      「儀式」じゃなく、「技術」として、女性が男性を拒むことは、現代でもありま
       すよね(笑)

       そうすると、「浅間」という言葉にも・・・ふと、疑問を感じるのです。

       そもそも、「あさま」とは何かという研究があるようです。

       伊勢に「朝熊山」があって、神宮鬼門にあたるそうな。
       この「朝熊」も、「あさま」と音読するんですね。

       どうやら、「あさま山」とは重要な山を指す言葉じゃないか、なんてね。

       その上で、「あさま」を、ポリネシア語やアイヌ語などで読み解こうというわ
       けのようです。

       多分、それが正しいと思うのです。

       ただ、私が「浅間」と、かぐや姫の物語から、思わずにいられないのは、
      「朝妻」という言葉なんですね。

       万葉集巻第十に、柿本朝臣人麻呂の歌が掲載されています。

      「今朝行きて明日は来ねと言ひし子か朝妻山に霞たなびく」
       私が所持している、角川文庫の万葉集には現代語訳がないんですが(T_T)

       つまり、「朝妻(あさづま)」とは、まだ公認となっていない男女が、夜出会
       って、朝早くに別れる・・・後朝の別れと関係ある言葉のようなんですね。

       男が女の元に通ってくる。
       二人は情を交わし、朝暗いうちに男は去っていく。
       未練を残して、男が振り返ると、女はさも寂しげに見送っている・・・。
       その姿をして、「朝妻」と言ったと。

       このことを踏まえて先ほどの歌を読むと、読解するのはそれほど困難じゃあり
       ませんよね。

       朝、去ろうとすると、女が、「明日も来てね」と言ったわけでしょう。
       そんなこんなを思いながら、朝妻山を振り返ると、霞がたなびいていた。
       そういう歌ですね。

       当然、この「朝妻山」に、彼の思い人は住んでいたのでしょう。

       ・・・で。

       富士山という山について、

       あのかぐや姫が、
       天子様の求婚を受けるべく
       逃げ込んだ山なのならば。

       そして、その岩窟において、かぐや姫と天皇が始めて結ばれたのならば。

       天子様にとっての「朝妻山」は、まさに、富士山に他ならぬわけです。

       富士山は美女に縁深い山です。

       そして、その「美女」は、一人ではないのかも・・・。

       そうすると、何人もの男が、この山を、「朝妻山」と見たのではなかろうか、
       まぁ、そういう発想ですね(^^ゞ

       しかし、この山は美しく和やかな容姿に似合わず、気性の激しい火山でした。

       それは、たおやかな美女ながら、不貞を疑われるや、産室に火を放ち、そこ
       で出産した木花佐久夜毘売命に相応しい山でありましょう。

       その山を恋し、「朝妻」への思いを込めて山を見やった往古の男性。
       その男性もまた、凛々しく美しい、私はそう思うのです。          

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