祭 神:倭迹迹日百襲姫命 彦五十狭芹彦命 猿田彦大神 天隠山命 天伊田根命 以上五柱の総称を田村大神と申す。 説 明:境内案内板を引用します。 「社伝によれば(人皇第七代孝霊天皇の皇女)倭迹迹日百襲姫命、上古讃岐の東部へ来り給い、 更に移りて当地船山に登り給う。この地讃岐の中央にして好き所なりと賞でし給いしにより祠 を之を奉ず地名百相(倭名鈔 百相毛毛奈美)は命の御名によって起こりと、彦五十狭芹命は 百襲姫命の御弟に座し、他の三神は配祀せるという。創建は天平年間といい、初め浅野村船岡 山に鎮座あり、船岡山は古く百相郷に属し船山と称し、当社又船山神社と称えられ、三代実録 に『天慶五年十一月十四日、戊午授、讃岐国正六位上、船山神社従五位下』とあるは当社なり といえり。鎌倉時代まで、社伝宏状、近郷の大社にして国司守護の尊崇厚く、細川頼之当社を 以て岡館北方の鎮守となし、大野、百根の間にて、二石三斗(345kg)を寄進し、貞治三年 三月変額を奉納せしこと讃岐細川記に詳らかなり。(後略)」 住 所:香川県高松市仏生山町甲1147 電話番号: ひとこと:ご祭神は、田村神社と同じですね。 倭迹迹日百襲姫は櫓掛神社のあたりに上陸し、水主神社に住まっていたところ、田村神社で稲 作の教化をしたっていう感じの物語になるのでしょうか。 そしてここ、船岡山は、姫が「良いところ」と好んだ場所。 さて。 讃岐に稲作を伝え、水利の便をはかったのが、女性であるのはなぜなのでしょう。