祭 神:猿田彦大神 宇迦御魂大神 説 明:ご由緒から転載します。 「はじめに 古来より、人々は当二見浦に詣で、夫婦岩の間から差し昇る『日の大神』と、 夫婦岩の沖合700Mの海中に鎮まる猿田彦大神縁りの霊石と伝えられる 『興玉神石』を拝して参りました。この伊勢の海清き渚より冨士の山影を望み、 その背から輝き昇る朝日、取り分け夏至の朝日を拝する神厳さは筆舌に尽し 難い感動を覚えます。世界を照し始め、日の大神と称えられる天照大神様の 御神威を拝み、また猿田彦大神様の御神力のお陰を戴き、神人一体の極致を 体感されますことをお祈り申し上げます。 御神徳 猿田彦大神は、天孫瓊々杵尊が天照大神より三種の神器を授かり天降られる とき、天の八衢にお迎えして途中の邪悪を祓いながら道案内を申し上げ、ま た垂仁天皇の御代、倭姫命が天照大神の御鎮座地を求められたときも御神徳 を示され五十鈴川川上に導かれました。この為に古来より善導の神として開 運招福、家内安全、交通安全の守護神として信仰され、魂を導き甦らせる御 神威により甦りの神と称され、別名興玉の神とも称えられております。また 古来より、土地を領する地主神と云われ、土地の邪悪を祓い清め災厄を除く 福寿の神として信仰されております。 宇迦御魂大神は、稲の霊神と云われ、食糧を司る神、後に衣食住産業の守護 神として仰がれております。 住 所:三重県度会郡二見町大字江575 電話番号:0596−43−2020 ひとこと:「興玉」とは、「魂」を「興す」・・・つまり、甦りという意味だったので すね。 しかし、神話に、猿田彦命が魂を甦らせたという話しがありましたっけ? 記紀には、そういった話はなかったと思いますから、もしかしたら、この神 社独自の伝承かもしれません。 もしくは・・・。 実は、古事記にちょっと気になる記述があるんですよね・・・。 まずは、猿田彦命の登場から、引用しましょう。 「ここに日子番の邇邇芸の命が天からお降りになろうとする時に、道の真中に いて上は天を照らし、下は葦原の中心の国を照らす神がおります。そこで天 照らす大神・高木の神の御命令で、天の宇受売の神に仰せられるには、『あ なたは女ではあるが出会った神に向き合って勝つ神である。だからあなたが いって尋ねることは、我が御子のお降りになろうとする道をかようにしてい るのはだれであるかと問え』と仰せになりました。そこで問われる時に答え 申されるには『わたくしはくにの神で猿田毘古の神という者です。天の神の 御子がお降りになると聞きましたので、御前にお仕え申そうとして出迎えて おります』と申しました」 日本書紀では、この場面、宇受売命は、下半身をむき出して猿田彦命に相対 したとなっています。 宇受売命は、天照大神が岩戸に隠れたときも、裸に近い恰好で踊ったとする 女神ですから、よほど裸に自信があったのか、性器をむき出しにすることに 意味があったのか・・・。 ま、間違いなく後者でしょうね(笑) さて、こうやって、猿田彦命は、まず宇受売命と言葉を交わしたわけです。 そんなご縁で、二人は結婚することになるわけですが・・・。 その場面を引用しましょう。 「ここに(邇邇芸命が)天の宇受売の命に仰せられるには、『この御前に立っ て、お仕え申し上げた猿田毘古の大神を、あらわし申し上げたあなたがお送 り申せ。またその神のお名前はあなたが受けてお仕え申せ』と仰せられまし た。この故に猿女の気味らはその猿田毘古の男神の名を継いで女を猿女の君 というのです。その猿田毘古の神は阿耶訶においでになった時に、漁をして 比良夫貝に手をくい合わされて海水に溺れました。その海底に沈んでおられ る時の名を底につく御魂と申し、海水につぶつぶと泡が立つ時の名を粒立つ の御魂と申し、水面に出て泡が開く時の名を泡咲くの御魂と申します。 宇受売の命は猿田毘古の神を送ってからかえって来て、ことごとく大小様々 の魚どもを集めて、『お前たちは天の神の御子にお仕え申し上げるか、どう ですか』と問う時に、魚どもは皆『お仕え申しましょう』と申しました中に 海鼠だけが申しませんでした。そこで宇受売の命が海鼠に言うには『この口 は返事をしない口か』と言って、小刀でその口を裂きました。それで今でも 海鼠の口は裂けております。かようの次第で、御世ごとに志摩の国から魚類 の貢物をたてまつる時に猿女の君らに下されるのです。」 変だと思いませんか? まず、邇邇芸命が、猿田彦に大して、仰ぎ奉るような表現をしているのは、 筆者の筆のすべりとしても、です。 邇邇芸命は、宇受売に対して、猿田彦命の名前をもらって仕えろと命令して いるわけですよね? 猿田彦命が溺れている時、宇受売神はどこにいたのでしょう? その後、宇受売命は、「帰ってきて」となっていますから、猿田彦命が溺れ ている時、宇受売命はまだ、猿田彦命のそばにいたはず・・・。 しかも、宇受売命は、猿田彦命に仕えているはずなのに、魚達に対して、 「天の神の御子にお仕え申し上げるか」 と、聞いています。 猿田彦命に仕えるものが、なぜ、天の神の御子(邇邇芸命)に仕えるかどう かなどと気にするのでしょうか? つまり、宇受売命が「帰ってきた」時には、本来宇受売命が仕えるはずだっ た猿田彦命は、この世にいなかった。 溺れ死にしていたのでしょう。 そして、溺れた原因は・・・。 本当に、比良夫貝に手を食われたからなんでしょうか????? どぅうぉ〜うも、怪しい。 なんとも怪しい。 筋が合わない。 まさか、宇受売命が突き落と・・・。いやいや。 この神社のご由緒を見ると「猿田彦神は倭姫命が天照大神の御鎮座地を求め られたときも御神徳を示され五十鈴川川上に導かれました。」とありますね。 つまり、垂仁天皇の御代に、猿田彦神はまだ健在だったということ。 それに、この神社は、「夫婦岩」を擁する神社です。 そして、「甦り」の神社でもある。 つまり、こう考えればスッキリします。 猿田彦神と宇受売神が二人連れ立っていく途中、猿田彦神は溺れてしまった。 宇受売神は慌てて、海の魚を集めて、猿田彦神を助けるように言った(天の 神の御子に仕えるのならば、猿田彦を助けよ・・・という風に)。 宇受売神の機転と働きで、猿田彦神は甦った。 そして、二人は、「夫婦岩」のある、この神社近辺に戻って来た。 夫である猿田彦神は、この神社に祀られた(妻なので控え目にしているけれ ど、宇受売命も祀られているのかもしれないし)。 そして、この神社は、夫婦和合・甦りのご神徳で有名となった。 穿ちすぎでしょうか(笑)