祭 神:源九郎狐 説 明:境内案内板から転載します。 「源九郎稲荷大明神の由来 源九郎とは、文楽・歌舞伎の『義経千本桜』に出てくる源九郎狐のことです。 この狐は、静御前が持つ初音の『鼓』が、両親の皮で作られていたことから、それをしたって源義経 の家臣・佐藤忠信に化けて義経と静に寄り従い、兄・頼朝に追われた二人を守り通す。途中で義経に 狐であることを見破られるが、義経は親を慕う狐に同情し、また自分たちを狐の神通力でまもり通し たことに感謝し、自分の名である『源九郎』をこの狐に与えた。 義経は頼朝の軍に追われ、和泉の国から水越峠を下り吉野へ逃れる途中、北宇智より宇野峠にさしか かった時広報を見ると、北宇智に延々と松明が続き、追手が間近に迫っている事が解かりました。 義経は『ああ、これ迄か』と、静や佐藤忠信らとの悲しい別れ時と悟ります。 宇野峠頂上に着くと、一人の白髪・白髭の老人が現れ、私が道案内をしますと、六田の渡し場まで案 内しました。渡し舟に乗ったことを確かめると、大きな太尾の一匹の狐に変わり、一声二声鳴き長い 尾を振りながら、別れを惜しみつつ立ち去りました。 義経一行は無事吉野へたどり着きます。 そして、この狐に『源九郎』の称号を与えることを文にしたため、後世に残しました。 これが、源九郎稲荷神社の由来です。 大和郡山市洞泉寺町の『源九郎稲荷神社』(日本三大稲荷神社の一つ)や吉野蔵王堂裏手にも『源九 郎稲荷神社』が在り、地元で大切にお祭りされています。 追文 さて、白狐は、宇野峠に戻り、山の裾のを現在の大谷へとキツネ火で追手を誘います。 現在、太田に町にある長尾池へと導きます。追手が着くと、大きな広場(長尾池)があり、大勢の村 人が見ている、小さな能舞台で、一人の白拍子(静)が舞を舞っていました。舞は朝方まで続き、空 が白やむ頃ようやく舞い終わると、白拍子は大きく飛び跳ね一匹の大狐に変わり、長い太い尾を振り ながら、山へ消えて行きました。 ところが、追手が座っていた所は長尾池でした。池の中に身を沈めていたことに気づいた頃には、時 すでに遅く、寒さに震えて追うことが出来ず諦めました。 白拍子は、あの長い太い尾の大狐『源九郎』の化身でした。とさ!!」 住 所:奈良県五條市三在町 電話番号: ひとこと:ずっと、なぜここに源九郎稲荷があるのかと不思議に思っていました。 こういう話があるんですね。 宇野峠はここから300mほどだけ登ったところ。 地図で確認したところ、この祠のすぐ南に池があるのですが、それが長尾池なのかな? 大阪府富田林市にも源九郎の兄、与九郎の伝説が残っていますし、源九郎狐の伝説は、ずいぶん広くま で伝わっているのかもしれません。 静御前はとても有名な女性ですが、実在したかどうかはわかりません。 むしろ伝説上の人物だと考える方が良いのかも。 でも、源頼朝に呼ばれて鶴岡八幡へ赴き、舞を所望されて、 しづやしづしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな 吉野山峰の白雪踏み分けて入りにし人のあとぞ恋しき と歌い、激怒させるエピソードは、本当に美しいと思います。 北条政子が 「あなたが罪人としてとらえられていたとき、私も同じ思いだった」 と、とりなすのも素晴らしい。 一人の人を一途に想い、愛すことを誇りに思う心理は、非常に「女性らしい」のかもしれません。 静も政子もこのような「誇り」があったのだと思います。 そう書いたら、「それは女が従属的な立場を強いられていたからではないのか」と反論されるかもし れませんね。 でも、それだけでしょうか? 男と女の外見上の違いを、ごくごく端的に言えば、凸と凹です。 私は、男と女……セックスじゃなくジェンダーね……の本質もまた、凸と凹なんじゃないかと。 従属じゃなく、凹なんです。 ……説明になってないかな(^^ゞ 私的にはすごくしっくりくる説明なんだけど。 私はずっと自分は男だと、凸だと思っていました。 今は思いませんけど。 だからこそ余計に、自分の中の「凹」が、愛おしいのです。