祭 神:伊邪那美大神 説 明:境内一の鳥居横にあった案内板を転載します。 「此処を遙に仰げば、森厳極りなき護持ケ谷の聖地たり、この地古昔より比婆 の山と称し、山頂に岩窟あり、比婆大神と称え奉り、伊邪那美大神を祀る。 創立年代、これを古書に求めば、往昔にあり。御霊験をあらたかにして、世 に『山神さん』とも敬い奉り、近郷は申すも更なり、湖東、湖北、関ヶ原、 さては全国津津浦浦より、聖地を聞き伝えて参詣する者、月に日に、陸続そ して踵を接し、御神徳に絶大なる信仰を捧げ来り。殊に、嘗ては、林元陸軍 大将、樋口円大教授、或いは橋本元彦根高商教授等、数多の知名の人士、当 社に参拝され、大神の御神徳を仰ぎつつ、崇敬の念を捧げられしを以ってす るも、如何に尊き古社なるかを知るを得べし。而して宝暦以前の建立と伝う 神殿ありしも、腐朽せしを以って、夭正の末期、崇敬者の寄進により、荘厳 なる神明造の現社殿を再建し奉り、以って現今に及ぶ。」 住 所:滋賀県彦根市男鬼字護持ケ谷494番地の5 電話番号: ひとこと:まず最初に、この神社は、「山の神」を」祀った神社です。 俗信に、「山の神は嫉妬深い」というものがあり、その場合、夫婦や恋人が 二人で参ると、女神の嫉妬により二人は別れさせられるとも言われます。 この神社にもそういう言い伝えはあるようです。 ですから、この俗信に悪い暗示を受けてしまいそうな方は、二人で参るのを やめた方が良いかもしれません。 しかしながら、私は、「神」たる存在が、たかが人間に嫉妬するなんていう 考えは却って失礼かと思いますし(^^ゞ 少なくとも、私たち夫婦は、二人してこの神社に呼ばれたようです。 この神社に参拝するのは、登山を覚悟しなくてはなりません。 運転に自信のある方は、車でも参拝できます。 ただ、車一台通るのがやっとの、落石だらけの道をずんずん行かなくてはな りませんから、もし、対向車が来たら、ふもとまでバックで降りる覚悟をし ておかなくてはいけません。 比婆山は、彦根市男鬼に位置する山。 標高は、670mと中程度の山で、登山道は整備されています。 ですから、登山のつもりで来られる方にとっては、ちょうど良い運動かも。 さて、私たち夫婦がこの神社に参拝したのは、まったくの偶然でした。 比婆神社が鎮座する男鬼は、河内風穴の東。 私たちは、この風穴を目指してやってきたのです。 しかし、「男鬼」という地名が気になっていたのは確か。 風穴より少し奥まった場所にある、 そして、男鬼村の入口にある「落合神社」はちゃんとマークしていました。 しかし、その奥はなにやら荘厳すぎる雰囲気があったため、足を踏み入れる のがためらわれ、引き返してしまったのです。 これが、最初の、「比婆神社へのアプローチ失敗」でした。 次にこの神社に近づいたのは、「青龍の滝」を訪ねようとしてでした。 細い道をうろうろ進んで、完璧に迷ってしまったのです。 しかし、ある地点で、道の舗装はなくなり、その先を進めば男鬼に行くとい う看板を見た私たちは、 「大きな道に抜けられるという保証がないから」 と元来た道を戻ってしまったのです。 しかし、あとでわかることですが、このとき、あと10mも進んでいたら、 「比婆神社の参道はこちら」 という看板を見つけられたはずでした。 そして、もう家に帰ろうかと高速道路に向かっている途中、 「比婆神社まで8キロ」 という看板を見つけました。 これが最後のチャンスです。 私たちはこのチャンスをものにしました。 看板の指し示す道をずんずん行くと、先ほど引き返した道にぶち当たりま す。 私たちは、比婆神社に続く道に何度も足を踏みいれようとして、躊躇して いたのだとわかります。 しかし、一度目的地がわかれば、あと戻りすることはありませんでした。 細く険しい山道を、旦那はどんどん車を進めます。 幸い、対向車も来ませんでした。 なんの障害もなく、私たちは、比婆神社の本殿前に立っていました。 ここに来るまで、あれほど二人で逡巡し、躊躇していたにも関わらず、一 度、「比婆神社を目指す」という目的がわかれば、あとは風のようにここ までたどり着いたのです。 もちろん、旦那の運転の技術のおかげもありますが、それだけでもないよ に思います。 写真では雰囲気が伝わるかどうかわかりませんが、圧倒的な磐座です。 この磐座は、伊邪那美大神の隠れたもう地とも伝えられているようです。 古事記には、こうあります。 「このお隠れになった伊邪那美の命は出雲の国と伯耆の国との境にある比婆 の山にお葬り申し上げました」 「比婆の山」 この山と同じ名前です。 また、このそばには多賀大社があります。 そして、その奥の院と呼ばれる胡宮神社の鎮座する青龍山には、伊邪那岐 命・伊邪那美命の夫婦神が二人して降り立ったとされる磐座が。 このことから考えると……。 記紀神話の中で、伊邪那岐命・伊邪那美命は同時に生まれ、そして、伊邪 那美命はやけどがもとで、先に死んでしまったとされています。 伊邪那岐命は伊邪那美命を訪ねて黄泉の国に赴くも、物別れ。 そして、黄泉の国とこちらの世界は完全に分断されてしまったのだとされ ています。 そう考えると……。 この比婆神社のある場所は、伊邪那美命のおわします黄泉の国への入り口 なのでしょうか。 私が気になるのは、この「男鬼」という地名。 伊邪那岐命がこちらの世界に戻ってきてから、その息子である素戔鳴尊は、 母を慕って、黄泉の国へ行きます。 そして、根の国・黄泉の国の支配者として君臨するのです。 彼の妻は櫛稲田姫。 一旦は、八俣の大蛇に捧げられた巫女ですね。 そして、彼の娘は、須勢理姫。 その夫である、大国主命もまた、冥界を統べる王として君臨しています。 もちろん、大国主命が冥界の王とされるのは、高天原の侵略を受けたこと が原因。 そもそも大国主命は、芦原中国を作り、治める立派な王でした。 しかし、高天原の侵略に合い、出雲大社に「鎮まった」とされています。 つまり、私は、この「男鬼」という地名に、素戔鳴尊と大国主命の姿が重 なって仕方がないのですが……。 この比婆山のそばに、霊仙山という、これまた感慨深い名前の山がありま す。 この名前から、修験道の山かと思ったのですが、そういうわけではないよ うですね。 もし、修験道に関係があるのなら、「鬼」は、役行者が引き従えていた、 前鬼・後鬼の関係かと思ったのですが。 いつも思うことですが。 もし、私は、この旦那と結婚しなければ、絶対に、神社参拝を始めなかっ たでしょう。 結婚して、心が自由になって、やっと趣味に時間や心を割くことができた のです。 旦那が激務の間の休日にも、まったくいやな表情をせず、私の運転手をし てくれ、どんな運転しづらい神社でもつれていってくれるため、あちらこ ちらの神社に参拝することもできました。 反対に、旦那も、私と結婚しなければ、決して神社参拝を始めなかったで しょう。 私が神社や古代史に興味を持ったから。 私が喜ぶからという理由で、旦那も神社に興味を持ちました。 そしてそうやって、二人して、こんな風に、 偶然というにはあまりにも不思議すぎる、 「神社・神様との邂逅」 を体験すると……。 神の存在を深く感じてしまうのです。 この神社については、はっきりした由緒はわかりません。 調べてみてまた何かわかれば追記します。 しかし、表面上の由緒をなぞるより、この地に立ってみるほうが、よっぽど この神社・ご祭神のことがわかるような気もするのです……。