祭 神:下照姫命 説 明:大淀町史を転載します。 「正覚寺裏西山山に鎮座する。参道口に明治八年十二月の石灯と手水石がある。 鳥居を入って上ると明治三十一年五月の狛犬と二の鳥居がある。削平された 長蓮寺跡の台地に瓦葺の薬師堂があり、本尊薬師如来の前に瓦造りの前鬼・ 後鬼の像があるが泉州瓦人の奉納。元役行者像がまつられていたが向かいの 国道上に移された。石灯は摩滅がひどいが、『甲子貞享元年五月日芦原山』 と見える。左の崖の下に石地蔵が安置されている。割拝殿の正面に方二間の 玉垣に囲まれた1.4mに1.2mの素木春日造り銅板葺の本殿がある。神 前左右に『天保十五甲辰立之 氏子中』との石灯がある。 祭神は下照姫命。棟札は明治十七年五月十一日再建、昭和十年八月屋根替竣 工とある。拝殿は明治三十八年九月二十二日改築。祭典は十月十五日。 宮座は新座・古座10軒ずつだったが、数年前より区内全戸が講員となり、 四戸ずつ当屋勤めを行っている。」 住 所:奈良県吉野郡大淀町芦原西谷山 電話番号: ひとこと:この神社は、天水分神社を探していたときに、偶然参拝することになった 神社です。 が、天水分に祀られる天羽槌稚命と共に、織物に関係の深い神。 もしかして、下照姫命が大蛇に人身御供に出されることになったのを助けた のが天羽槌稚命・・・などという伝説でもないか、とスケベ心を出したので すが、 そばにある「正覚寺」というお寺で尋ねたところ、 「聞いたことないですねぇ」 とのことでした(^^ゞ いや〜、そんな甘いはずはないかぁ・・・(笑) しかし、大淀町役場に尋ねると、大淀町史に収められている大淀町の伝説を コピーして送ってくださったのです。 その中に、少し気になる伝承が。 一つ目は、この神社の伝承として、多分、送付してくださった方が手書きで 書いてくださったもの。 「南朝時代(約600年前)に、追われてこの地で亡くなった姫を偲んで建て られたと伝えられている」 とあります。 そして、もう一つは、かずえ姫の伝説。 「芦原の小字で、八幡さんと呼ばれる小高い山がある。 むかし、そのあたりに、かずえ姫というたいへん美しい姫がいたが、かわい そうに生まれながらのおしで、ひとこともものがいえなかった。 その娘の父親は、そういうこどもだけにふびんでならず、 『かずえ姫、かずえ姫』 といってかわいがっていたが、その不幸な娘は、ふとした病気にかかり、つ いに亡くなってしまった。 父親のなげきは、はたのみるめも気の毒であったが、それからまもなくその 父親は、照学寺へ、鐘をつくって寄進した。 そして鐘供養のときに、集まってきた村の人たちに、涙ながらにその父親は、 『この鐘の音を聞いたら、かずえ姫がみんなにものをいっている声だと思って おくれ』 といったので、それを聞いたみんなは、親の深い情けに泣かされたという。 以前の八幡さんというところには、彼岸ざくらやもみじの木が、たくさん植 わっていて、きれいなかずえ姫のすがたがしのばれる、かっこうの場所であ ったそうである。」 「ものがいえない」「鐘」というキーワードはかなりそそられます。 口が利けないというのは、「無言の行」などというのがあるように、神に仕 えるために沈黙を守っていたのではないか、と思えるのですが、どうでしょ うか? そして、「鐘」というのは、日本海側の地では、「雨乞いの神具」として、 伝承によく出てきます。 つまり、かずえ姫はもしかしたら、雨乞いのための巫女だったんじゃ? そう思えるのですが、この「八幡山」がどこにあるかわからず、姫神社と かずえ姫の関係は、私の妄想でしかありません(^^ゞ ただ、天水分神社・姫神社ともに、もともとは、それぞれ、「八大龍王」 「南朝の姫(女官?)」という、関わりのないご祭神を祀っていたのが、あ る時期、共に織物に関係の深い神様に祭り替えが行われたわけですね。 なぜでしょう? 例えば、その時期、この土地で織物が盛んになった・・・とか。 織物に全く関係のなかった村や町はなかったでしょうから、例えば、紡績 で盛んになった、とか? 「明治」「織物」と聞くと、「あゝ野麦峠」と反射的に口にしてしまう私(^^ゞ いや、織物じゃなくて、紡績・・・つまり絹糸を紡ぐ方なんですけど。 野麦峠について、知らない方も多いと思いますが、これは、ノンフィクショ ンの書き物と、映画があります。 書物の方は、小学生のころ、ぱらぱらと目を通しただけなので、ただただ、 「女工さんが、過酷な労働して〜」 という証言やら当時の逸話などが載せられてた・・・という記憶くらいしか ないのですが、映画の方は、主人公が働いて、働いて、過酷な労働に愚痴も 言わず、仲間と一緒に働いて、病気(結核だったっけ)になって、隔離され て、故郷へ戻れず死んじゃう〜〜〜・・・というこれまた救いのない話だっ たりします。 ただ、当時の日本では、紡績工だけでなく、他のどんな仕事も、似たような 過酷さだったのではないか、とも思いますけどね。 そして、その当時、日本は、日清戦争・日露戦争に勝ってたわけだったり。 かつて、東洋に、「強い日本」があり、 そして、それは同時に、「弱い国民に冷酷な日本」でもあった、 というのは、別に驚くまでもなく、あまりにもありふれた、あまりにも凡庸 なテーゼなんですけど、そういう当たり前のことが過去にあって、でも、そ の当たり前のことのうち、「強い日本があった」ことだけを強調しても、 「弱い国民に冷酷な日本」だけを思い出させようとしても、やはり、どこか、 不自然かも。 結局、当たり前に「両方ある国」だったわけですね、日本も。 メモっとこっと。。。 「日 本 は、あ た り ま え の 国」φ(..) ・・・話しが逸れました。 まぁ、そんなわけで、当時、この大淀の地でも、紡績が盛んになり、もしく は盛んになろうとして、ご祭神を祀り替えたのでは? と、少し思ったのですが、わかりません。 紡績については、明治時代、あちこちに工場が建てられているようですので、 大淀の町にできてもおかしくないのですが、ここが紡績の大工業地帯になろ うとしていた・・・という資料はないもんで(~_~) でも、辛い・過酷な労働を強いられる女工さんにとって、女工を守る女神の 存在(姫神社)は、もしかしたら救いになったかもしれません。 そして、その神社の側に、男神で、織物の守り神が鎮座ましましていること は、いろいろと想像力をくすぐることになったかも・・・などと妄想してみ たりしますが・・・。 過酷な労働をしている若い女性に、それほどの余裕があったのかどうかは、 私にはわかりません。 ただ、過酷な労働を描いた映画や小説には、かならずロマンスが描かれるん ですよね。 ・・・いや、まぁ、だいたいどんな映画にも、ロマンスが描かれてるもんで すけども。 でもまぁ、やはり、恋愛というのは、ほとんど全てのところで、救いになる 特効薬じゃないかと思うんですよね。 例えば、スウェーデンシンドロームなんてのがあります。 これは、人質となった女性が、自分を虜にしている男性に擬似恋愛感情を抱 いてしまう・・・という症候群を指すのですが、これ、意外そうに見えて、 結構説得力ありません? 人質の女性にとっては、自分を束縛している男性は恐怖の対象であるには違 いないんだけど、その「束縛・恐怖」が、なんの謂われのないものだと混乱 しちゃうわけですね。 でも、束縛している男を「自分の愛する人」にすることによって、その束縛 に、ある程度の正当性が付与される・・・とか。 相手に恋愛感情を抱くことで、 「この人のためなら死んでもいい」 などという、即席の感情を作り出すことで、恐怖感を和らげることができる ・・・とか。 いろいろな理由をこじつけることができます。 極端な言い方をすれば、 「許せない相手をどうしても許さなくちゃいけなくなったら、相手に恋愛感情 を抱いちゃえばいい」 ・・・とも言える・・・かな? 感情ってのは、ややこしいもんで、内に籠もればなお陰に籠もるところがあ るような気もします。 深い湖ほど、水底では複雑に水が流れているように。 人間の心という深い湖の底流は、もう、想像もできん複雑さなのでしょう。 多分?? ・・・またまた話しが逸れましたが(^^ゞ つまり、この姫神社のご祭神と、天水分神社のご祭神の間に、なんらかの、 ラブストーリーが語られた時代はなかったのかな? ・・・そんなことを、ちょっと想像したのでございましたm(__)m