祭 神:比賣語曽大神 説 明:境内の案内板を転記します。 「垂仁天皇の御代、意富加羅国(今の韓国南部)の王子都怒我阿羅斯等が、あ る日黄牛に田器を負わせて田舎に行くと、牛がいなくなった。捜していると 老翁が現れて『おまえの捜している牛は郡公が殺して食った』という。阿羅 斯等が郡公の館に行って牛の代償を求めると、郡公は白石を与えた。阿羅斯 等は白石を持ち帰り寝室に置くと、白石は美女となった。阿羅斯等は大変喜 んで求婚すると、美女は忽ち消えてしまった。阿羅斯等が追い求めると、美 女は海を渡って日本国に入り、摂津の難波を経て豊後姫島に至り、比売語曽 の神となった。 ー日本書紀よりー」 住 所:大分県東国東郡姫島村5118番地 電話番号: ひとこと:いわゆる「ひめこその社のいわれ」ですが、古事記では、阿羅斯等ではなく 天日槍のことだとしますね。 天日槍の子孫に神功皇后が現れるわけで、やはりこの辺りが彼らの漂着した 場所であるとするのに無理はないと思います。 阿羅斯等にしても天日槍にしても、日本の先住民を武器でもって鎮圧したと いうよりは、進んだ文化を伝来し、人々を強化したという印象が強いです。 ですから、個人的に「侵略者」というイメージではないのですが、ただ、本 当に縄文人が人殺しの武器をもたない人々であったのなら、彼らに戦を教え たのは、彼ら後着の文化人(弥生人)でしょう。 そう考えるとねぇ。 なんとなく複雑なのです。