説 明:蛇切岩伝説に関する案内板を転記します。 「その昔、多門院の黒部に『おまつ』と『おしも』という美しい姉妹がおり、二 人が与保呂の奥山へ草刈に出かけたある日、美しい若衆に出会った。 以来、この若衆の姿が『おまつ』の心に深く刻み込まれた。そんな時、『おま つ』に縁談が持ち上がり、行く末を悲観した『おまつ』は、池に身を投げ大蛇 に化したという。 それから大蛇が仇をするという噂が広まり、村人たちがこれを退治しようとモ グサで牛を作って食べさせた。 すると大蛇は火に苦しんでのたうち回り、池は大洪水となった。 その時、大蛇が岩に当たって三つに切れたという。 その岩を『蛇切岩』といい、その後、与保呂の村人たちは『おまつ』のひたむ きで純粋な恋心を哀れに想い、またその祟りをおそれ、頭部を『日尾池姫神社』 に『蛇頭松姫大神』として丁重に祀った。それ以後不思議なことに、この境内 には『おまつ』の因縁でか、『松』の木は一本もない。 そして堂を行永の『どうたの宮』、しっぽを『大森神社(弥加宜神社)』に祀 った。 そして大蛇が三つに切れた岩を『蛇切岩』と名付けた。」 弥加宜神社のご由緒は次の通り。 「当社の御祭神は天御影命亦の御名は大日一箇命にして創立年代は崇神天皇の御 宇11年丹波道主之命の御祭給う所として延喜式内の御社也。 当社の例祭日は往昔より大陰暦6月14日なりしに、明治の御代に至り 7月14日に改む此の例祭日は御鎮坐の祭日ならんかと推察す。丹後風土記に 曰く、杜に坐す彌加宜社文に曰く、彌加宜社は往昔丹波道主之命の御祭給う所 也、杜の中に霊水あり、世に杜清水と称す、此の杜清水は1200年前の丹後 風土記に記載せる太古と変わらず混々と湧出して、其名最も高く貴重なる御霊 泉也。」 ひとこと:うら若く美しい女性が大蛇に魅入られ、自ら蛇と化す話は各地に残っています。 ここ、与保呂の大蛇伝説が他と違うのは、蛇が姉妹の姉であること。 妹の存在がこんなにはっきり描かれているのに、彼女がどんな役割を果たした のかわからないところが気になりますが……。 また、蛇退治と言えば、鉄か熱いものですね。 野口神社の蛇は味噌汁をぶっかけたら死んだのでした。 ……なんだかなぁ。 すごくドメスティックだ(笑) 伝承地はどれもさほど離れてはいませんでしたが、なぜ、頭と胴、しっぽに分 けて祀ったかは考えなくてはいけません。 一つの考え方は、 「決して生き返ることがないように」 という呪いの意味でしょう。 ですが私はそうは思いません。 丹後は豊受姫……穀物神の力が強い土地。そして女系の部族が多かったのか、 女神の力の強い場所です。 穀物神は、殺されることにより、体のあちらこちらから五穀や牛馬などを産み 出すのが宿命です。 おまつもこれら穀物神のひとりではなかったのでしょうかねぇ??