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日岡神社

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  祭  神:天伊佐々彦命 豊玉比賣命 鵜草葺不合命 天照皇大御神 市杵島比賣命
  説  明:境内案内板を転記します。
      「創立年代不詳なれども、天平二年の創立と伝えられ、延喜式の制、小社に列せ
       られ、江戸時代には部門の崇敬を受け、板倉京都所司代より、黒印領を得、之
       より先、慶長七年池田輝政の命を奉じて、若原右京亮制札を寄せ、同六年五石
       の黒印領を捧げたり。
       明治七年二月郷社に列せられ、江戸時代正一意日向大明神と称し、明治以降日
       岡神社と改む。
       古来より、安産の神様として近郷にその名を馳せ、播州一の大社であります。」
      「主神は、天伊佐々彦(あめのいささひこ)命です。景行天皇の皇后・稲日大郎
       媛(いなびのおおいらつめ)が御懐妊された時、最初の皇子が大変難産だった
       ため、七日七晩天伊佐々彦命が安産を祖神に祈願したところ、無事御出産され
       ました。
       このことから、『安産の神様』としてその名を馳せ、播磨随一の大社となりま
       した。現在も安産祈願や御宮参りなど参拝者が絶えません。社殿に向かって右
       側手前に日岡御陵への表参道があります。」
      「正一位日向大明神ともいい、天平二年の創立と伝えられる。
       主神は、天伊佐々彦命で、社有地は約四万坪を有し、安産の神様として知られ、
       広く播磨一円からお参りする人が絶えない。
       また近くには、歴史に名高い日本武尊の母君である、景行天皇の皇后・稲日太
       郎姫の墓である、日岡御陵がある。」
  住  所:兵庫県加古川市加古川町大野1755
  電話番号:079−422−7646
  ひとこと:問題は・・・。
       天伊佐々彦命という神様について、皆目わからないことだったりします(^^ゞ

       稲日大郎媛の出産に際し、安産をその祖神に祈ったというところから、姫の父
       親かと思ったら、古事記によれば、姫は、「若建吉備津日子の娘」となってお
       り、天伊佐々彦の名は出てこないのでございます。

       神社新報社の「日本神名辞典」は、記紀中の神様は網羅してるんですが、ここ
       にも出てこられませぬ。

       そして不思議なのは、この神社のご祭神の中に、稲日大郎姫の名がないこと。

       豊玉姫命は、お産に際して、八尋の鰐の姿になり、鵜草葺不合命を安産なさっ
       たという伝承から、「安産の神」としての貫録は十分ですが、なぜ、ここで、
       この神様が、祭られているのかの説明はありません。

       また、稲日大郎媛は、ご由緒にもありますように、日本古代史において英雄中
       の英雄であるところの、大和武尊の母親で、日本書紀によれば、彼女が一番最
       初に産んだのは、大碓(おおうす)皇子と、小碓(おうす)皇子。
       小碓皇子が長じて、日本武尊と呼ばれるようになります。

       しかし、古事記によれば、彼女と景行天皇の間に生まれた第一子は、櫛角別の
       王となっています。
       櫛角別王は、茨田連の祖となっていますが、詳しい事蹟は不詳。

       この地において、稲日大郎媛が生んだのが、櫛角別王だとしたら、不詳だらけ
       で話が進みませんので、

       この地において、稲日大郎媛が生んだのは、大碓・小碓の双子だったと考えて
       みたいと思います。

       講談社学術文庫「日本書紀」によれば、双子の出産シーンをこのように書いて
       ますしね。
      「大碓皇子と小碓皇子は一日に同じ胞に双生児として生まれられた。天皇はこれ
       をいぶかって、碓(臼)に向かって叫び声をあげられた」
       つまり、二人の名の由来は、父が叫び声をあげた先の、「碓」なわけですね。

       でもって、同じ本によりますと、
      「難産のとき、夫が臼を背負って、家をまわる習俗の地方があったことから云々」
       とありまして・・・。
       つまり、この双子が難産の末生まれたという伝承は、あったということでしょ
       うし・・・。  

       戯言を書くのだって、それなりに材料が必要なの・・・(笑)

       さて、双子です。
       さすがに現代では、そんなことは絶対に言いませんが、その昔むかし、受精の
       なんたるかを知らない時代には、人間は一度に一人生むのが通常だと考えられ
       ていたようです。

       一度に何人(匹)も出産するのは、動物の世界のこと。
       いや、人間だって動物ですが・・・つまり、犬や馬・牛などの、「家畜」の世
       界のことだという認識があった・・・というより、もっと単純に、

       双子の出産は、「通常の出産」とは違う。
       と考えられたということかもしれません。

       ただ、ギリシャ神話においては、双子のカストルとポルクスは、アルゴーの冒
       険において活躍した英雄ですし、
       この小碓皇子が長じて大和武尊となると、記紀神話中一番の英雄として活躍す
       ることになります。

       つまり、双子とは、「異常」とはいえ、「神聖なる異常」と考えられたのかも
       しれません。

       それは、現代に生きる私たちにも同じことではないでしょうか。
       ときどき、
      「双子はどれだけ以心伝心するのか」
       といった実験がテレビで行われていますよね。

       たとえば、双子に、未知の異性を10人くらい同時に見てもらい、一番好みの異
       性を、一斉に指してもらう。
       それで、好みがどれだけ一致するかを探ろう・・・というもの。

       通常の確率ならば、10人の異性がいれば、好みが一致する確率は、
       1/10前後になるはず。

       それが、双子の場合は、4割だか5割だか、通常よりかなり高い確率で一致する
       という実験結果を見たことがある。
       それだけじゃない。
       容貌や身長、雰囲気まで似ているから、周囲の人からは、何か神聖な存在と見
       えて不思議じゃないだろう。

       ・・・で、ごく個人的な体験から言えば・・・。
       女の子の双子って、美人さんが多くない?
       偶然?

       高校時代の下級生に、双子ちゃんがいたんだけど、白い肌につやつやの髪、大
       きな黒い目は、本当に「双美人」と思ったんだよね〜。
       OL時代の取引先にも、「双子の方割れ」がいたけど、やっぱり美人だった。

       とすると、天伊佐々彦命は、ただ単なる、
      「安産の神」
       ではなくて、

      「神聖なる英雄をこの世に生み出した神」
       であるともいえるわけです。

       日岡神社のご祭神について、詳細は不明ですが・・・。

       なんにせよ、日本史において、重要な場所であったのは間違いないと思われる
       のです。  

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