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家城神社

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こぶ湯




  祭  神:菊理比咩命 須佐之男命 木花之開耶姫命 
  説  明:ご由緒書を引用します。
      「往昔、家城村の住人家城与左衛門の息子で円乗坊という高僧あり、鎮徳上人という。上人、諸
       国の神社を参拝し、加賀の国市の宮、白山権現に詣で大麻を受けて故郷の老母の顔を見んとて
       帰国、家城の近く雲出川瀬戸ヶ淵の岸で路傍の石に笈を下ろし、暫し疲れを癒していた時、笈
       の中から七羽の白鳥が飛び立ち小倭、竹原、飯福田、山田野、八対野、川口、北家城の七ヶ所
       に羽を休めたという。後、この七ヶ所に鎮徳上人が祠を建て、白山比咩神社加賀白山の御分霊
       として奉斎したのが始まりと伝えられている。
       明治四十二年十二月二日、南家城、北家城、藤、二俣、真見地区内の大小の祠六社を、現在地
       の諏訪神社の社地に合祀、家城神社と単称したものである。
       創建年については詳らかではないが、北家城にあった白山姫神社の神社扉に嘉元二十二(1306)
       年丙午二月一日の墨書があり、この地における白山信仰が鎌倉時代以前から既に存していたと
       考えられる。
       霊泉
       神社の裏手雲出川に面したところから湧出している霊泉。
       郷土史家や古老たちの調査によっても明らかではないが、史家の説によれば古事記に崇神天皇
      (第十代)及び仁徳天皇(第十六代)の御代の記にある。
       なお、日本書紀によれば、雄略天皇(第二十一代)西暦四百七十年の記に廬城川(いほぎがわ、
       現在の雲出川)の宮の裏手に霊泉が出ていることが記されており、この湯を守る湯人(ゆえの
       おさ)にまつわる物語が伝えられている。
      「こぶ」が落ちるとの効用から『こぶ湯』と称するとの説もあるが、産婦の乳不足に霊験あらた
       かで万病に効用があると言い伝えられ、この湯を尋ねてくる人が今も跡を絶たない」
      「こぶ湯
       家城神社の境内地にある霊泉、こぶ湯である。神社の由緒から云えばこの神社はもと諏訪神社
       であった、昔から『諏訪のこぶ湯』と呼ばれている。
       雲出川の右岸、岩石の中から湧き出るこぶ湯は、白い湯の花と硫黄の香り高く古い伝説がある。
       悲しい物語で『日本書紀』にも廬城部連親子の湯人(子を湯に入れる婦人)の話と、昔よりこ
       の水を汲みとり諏訪明神に祈念して塗布すれば瘤が落ちると云うのでこぶ湯の名がある。また、
       産婦の乳不足にも霊験あらたかであると遠方より汲みにくる人もある。
       当社には宝物として神社扉二枚が所蔵され、その右扉に『嘉元二二年丙午二月一日』としるさ
       れ、古いものであるが、当社の創建を物語るものではない。
       例祭は十月十日、家城地区の氏子全員によりみこしが繰り出される
            白山町」
      「こぶ湯の由来
       一、この湯は遠く神代時代から湧出して居た模様である
       一、日本書紀に因れば雄略天皇の紀に出て居る廬城川のほとりに廬城部連枳莒喩と武彦の父子
         が住んで居た。この人は湯座の職の頭目で婦人をして子どもを湯舟に入れて居た事が記さ
         れて居る
       一、この湯舟は石器時代に石のみで掘られたものである
       一、この霊泉は皮膚病に良く効くが特に瘤が奇妙に落ることから人呼んで諏訪さんのこぶ湯と
         謂ふ
       一、この霊泉を飲めば産婦の母乳が良く出ると謂ふ
       一、亦この霊泉は病に効くと謂ふ
           家城神社社務所」
  住  所:三重県津市白山町南家城414 
  電話番号:
  ひとこと:「七白山巡りをしてみようか」と言ってはいたものの、まったく下調べなしだったので、どこ
       が白山神社なのかわからなかったのですが、なんとなく立ち寄った家城神社が、七白山の一つ
       でした。
       古事記に語られる「闇夜の虹」は、なんとも神秘的で物悲しく、大好きな神話です。
       
       雄略天皇皇女の悲恋の相手は、廬城部武彦とされるんですが、廬城部が守ってきた泉が、この
       家城神社の境内にあったんです。
       
       神話は断片的で、登場人物の心情は一切語られていません。
       
       清らかな伊勢の斎宮であり、暴虐と恐れられた雄略天皇の皇女、栲幡姫。
       彼女専属の湯人が武彦でした。
       
       湯人とは、女性の入浴を介添えする役職のことで、どんな介添えをしたのかはわかりません。
       背中を流したのならば、なぜ女性ではなく男性が務めたのか……。
       
       中世の銭湯には湯女と呼ばれる女性たちがいました。
       当然……と言ってよいと思いますが、彼女たちは男客の相手も務めました。
       中世においてのセックスは、大した意味を持たないことも多いように感じます。ただの遊興。
       まだ梅毒がなかったからもあるのでしょうし、生まれた子どもを受け入れる社会的風潮もあっ
       たのでしょう。
       
       では古代ではどうでしょう。
       神話に登場する神々は、そりゃまぁ大らかですし、現代の感覚では語れません。
       
       ただし、巫女は神のものでした。
       女性は生まれながらに神の嫁として生まれてくるという考えゆえに、「花嫁の逃走」の儀式が
       あるのだと、民俗学者の池田弥三郎さんはおっしゃってます。
       女性が結婚するのは、つまり神から人間に下賜されるということ。それを嬉しそうに受け入れ
       てはいけない。拒むそぶりだけでも見せねば……というわけですね。
       
       世間一般の女性でさえそうです。
       神を奉斎する巫女が人間の男と関わりを持つのは、もはや重罪!!!
       ……そういう感覚はあったろうと思います。
       
       社会的背景はわかりませんが、どういった事情からか、栲幡姫が武彦の子を妊娠したと噂がた
       ちます。
       武彦の父は係累が及ぶのを恐れ、あっさり息子を殺害。
       
       栲幡姫はそれを知ると、神鏡を携えて姿を消します。
       
       雄略天皇は怒りっぽくて乱暴者ですが、非常に人間らしい心を持った人物に描かれています。
       短気を皇后に諫められ「君はなんてすばらしい女性なんだ!」と無邪気に喜んだりして、私は
       とても好きです。
       娘の姿を探して夜をさまよいました。
       どうしても見つからないのに困惑し、ふと見上げると、闇夜にうっすらと虹が光っているのに
       気づきます。
       
       虹は、五十鈴川の畔から立ち昇っていました。
       そして虹の足下には、斎宮の遺骸と神鏡が。
       彼女の腹を裂くと、胎児は見つからず、ただ水があふれていたのだと言います。
       
       彼女が腹に溜め込んだ水とは、なんだったのでしょう。
       武彦に対する秘めた思い、決して態度に出せない恋心なのか、それとも悲しみ?苦しみ?もし
       かしたら憧れかもしれません。
       彼女は一人、真っ黒な水を抱いたまま、命を落としました。
       
       武彦の冤罪を知り、その父親は噂を広めた張本人を殺そうとします。
       しかし、怒りっぽくすぐに人を殺すはずの雄略天皇は、なんの行動も起こしていません。何一
       つ語りもしませんでした。
       いったいことの深層に、何があったのでしょう。
       
       斎宮と武彦の関係は、どのようなものだったのでしょうね?
       
       よくはわからないけれど、好きな神話なんです。
       だから、関わりのある伝承地に偶然遭遇して、ラッキーでした。

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