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犬山神社

inuyama

inuyama

千賊山




  祭  神:國常立尊 大己貴命 倉稲魂神・保食神 因幡八上比売神
  説  明:ご由緒書を引用します
      「大昔、弓矢を多雨会、鳥や獣の狩をしていた時代、犬を飼いならして其の猟に用いていた人達の集まりを犬飼部
       と云いました。その因幡の犬飼部が本拠として住んでいたのがこの地方であり、主に狩猟に使っていた山を犬山
       と呼びました。この山に社を立て、大國主神をはじめ五柱の神々をお祀りしたので【犬山神社】と申します。
       出雲大社の御祭神である大国主神は、因幡の白兎神話で有名なあの大黒様であいます。因幡のとても美しい八上
       姫と結ばれ、この国土を御開きになった神だりまして、その性格や功績・御働きによって別名が六つもあります。
       その中の一つ・強くて剛々しいという意味を表したのが『葦原醜男神』です。明治以前は、その一番初めの『葦』
       と、終わりの『男』を付け申して葦男大明神(あしおだいみょうじん)・通称あしをさんと称しておりました。
       その後、明治元年に元の名・犬山神社に改称しております。しかし、今でもあしをさんの呼び名は根強く残り、
       深い信仰を受けております。
       当社は、因幡の国の南方の大社として崇敬の念篤く、壱千百年もの昔、三代実録という國の正式な歴史書に『第
       五七代陽成天皇の元慶弐年弐月八日、因幡の国の犬山神に従五位を授く』との記載があります。そのような位を
       授けられ、当時すでに日本国家や天皇様から御崇敬があったお社であることが知られるのであります。この様に、
       正式な國の歴史書に載っている神社なので『国史現在社』と申します。
       古くかあ、古用瀬・家奥・屋住・安蔵・山口・宮原・川中・樟木原・金屋の九ケ村の氏神を合祀しており、この
       地方一体はすべて犬山神社の氏子であります。また、因幡郷庄保記という古文書には、この里を葦男の社と云っ
       たことが明記されており、このことから明治以前、いなばの社村と名乗ったのであります。明治五年参月弐九日
       犬山神社がかくも尊い神社であるので、『郷社』(因幡地方・旧智頭郡でも特に崇敬があり、代表的な社)に列
       格されました。
       また古来より、あしをさんにちなみ、足・腰の病、負傷など下半身の病事に御利益がある、とされ兵庫県や岡山
       県からも病気平癒や身体健康を祈る参拝者も数多く、大変信仰の篤い神社であります。最近では、ペットを飼う
       家庭も多く、正月には犬用の御守りを受ける人で大変賑わっております」
  住  所:鳥取県鳥取市用瀬町宮原275 犬山山頂
  電話番号:
  ひとこと:犬山にはいろいろな伝説が残っているんです。
       一つは、千賊山の三面鬼伝説。角川書店『日本の伝説47』からその部分を引用しますね。
      「千余年の昔、この山の岩屋に三面鬼と呼ぶ鬼神が棲んで、近在の良民を悩ましていた。あるとき鬼は、少し離れ
       た河原曳田に住む鳥越長者のひとり娘に懸想して、若い男に化けて毎夜女のもとへ通うようになった。女も男の
       美しさに惹かれ、相思相愛の仲となったが、男は東の空が白むころには名も明かさずにいずこへともなく立ち去
       っていく。
       そのうちに女は鬱病にかかってしまった。
       乳母はこれを見て、なんとか男の正体をつきとめようと、麻糸を通した針を男の着物の裾にさしておいた。翌朝、
       乳母が糸のあとを辿っていくと、糸は山の岩屋に通じており、女はこのときから病が昂じて、とうとう死んでし
       まったという。
       これが千賊山の三面鬼伝説の前半で、洗足山は千賊山とも書いた。地元ではこのように伝わっているのだが、こ
       れには類話があって、結末が違っている。
       相手が鬼であることを知った長者の娘は、男が通ってきたときこれを毒酒で殺してしまった。そして死骸を焼い
       たところ、灰が四方に飛び散って、人の血を吸う蚋になった。恐れをなした村人たちが鬼の亡霊を鎮めるために
       祀ったのが、宮原にある犬山神社のおこりだというものである」
       いわゆる苧環型神話ですね。
       鬼の体から蚋が生まれたというのはちょっと不気味ですが……。
       
       もう一つは忠犬伝説。同じく引用しましょう。
      「その昔、山口村は、三、四軒の人家しかない寂しいところで、ここに人を食い殺す狸が出没した。狸はいくつか
       山を越えたお滝ケ平の穴に棲んでいた。藤太郎坊はこの狸を退治するため、佐治谷から連れてこられた犬だった。
       ところがこの犬は、体が大きいためよく腹をすかし、狸を一匹くわえて出るごとに握り飯を一つやらなければな
       らなかった。こうして七十四個の握り飯を与え、同じ数だけの狸を退治したが、空腹を覚えた村人が残る一つを
       食べてしまった。仕方なく藤太郎坊は、何も食べずに七十五回目の穴にはいり、空腹と疲れで狸の犠牲となった。
       村人は犬の徳を哀れんで村の祠に祀ったが、跡にこれを犬山神社に合祀したという」
       
       ひどい話だ(^^ゞ
       
       神社の由緒書によれば、ここは犬飼部の本拠地だったとか。
       とすれば藤太郎坊もまた、ここの犬飼部に可愛がられた犬だったんじゃないかな。
       だって、おにぎりがなくても、狸を食べればいい話だし……。
       活躍した犬が死んだとき、ただ埋めるだけなのは寂しいと、神様にしたんじゃないかなと思いたいですよね(^^ゞ

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