祭 神:大山祇命 品陀別命 彦狹知命 説 明:境内案内板を転記します。 「天武十二年すでに社があったと伝えられ、大宝二年(702)から、出石鹿いそ (山ヘンに石)部神社、正和四年(1315)から何鹿神社と呼称している。 永禄十二年(1569)再建、弘化五年(1848)再建。 貞和五年(1349)に書かれたと認められる大般若経が明治六年(1873) まで社内に存在していた天正の頃(1573〜1591)まで中丹波山内荘七社 の神輿が当社に集まり祭礼式を執行した。 本社は山内の荘の一の宮とされ、昔から荘内の人々が尊崇し、神輿の存在中は例 祭日に右七社の神輿をかついできて御旅祭礼があったと伝えられる。 平成十一年五月十二日不審火により全焼した本殿は、弘化五年二月再建のもの で、三間社流造桧皮葺(50M2)軒唐破風の向拝を一間に造る形式、端正な中 に柔らかな味を漂わせ江戸末期の特徴をよく現した建物で、その上に覆屋銅版葺 (82M2)があった。 現在の社殿は、平成十一年氏子の中より再建委員八名、委員長は村山和夫を選出、 再建の議がまとまり、平成十二年四月より十年間、氏子一戸につき毎月二千円宛 の積み立てにより工費を拠出することとなり、設計を谷垣俊平、施工を松本寛・ 森次郎・北村亨・西畑幸二共同企業体、代表松本寛が担当、平成十二年四月二十 五日着工、平成十三年十月完成。その工費約七千萬円 その規模形式は三間社流造銅板葺神饌所を併設し約六十M2である。」 住 所:京都府船井郡京丹波町曽根竿代29 電話番号: ひとこと:ここも、 「海がないのにいそ」 な神社です。 拝礼の前にお賽銭を投げ込んで、ふと賽銭箱の中を覗いたら、一万円札が入って たので、 「すごいなぁ!!」 と旦那と驚いてたんですが、近年全焼し、再建されたお社なんですね。 工費七千万円かぁ……。 気が遠くなります。 参道から眺めると、民話から抜け出したような景色で、なんと長閑なのだろうと 思ったのですが、建物自体は新しいものだと知って、これもびっくりです。 昔からあるかのような佇まいでしたから。 氏子さんたちに、本当に大切にされている神社なのでしょうね。 このそばに、質志鍾乳洞があります。 ここは何億年か前海だったそうで、それが隆起した後、石灰質が溶け出て鍾乳洞 になったとか。 「いそ」の名は、その昔海だった名残? いやいや、それは古すぎます。 それより「いそ」が、山ヘンに石と書くことに注目した方が良いでしょうね。 山にあって、石の出る場所を「いそ」と読んだのでは、と。 ちなみに「質志」は「しずし」。 アイヌ語で山麓を意味する「シュチシ」から来ているという説もあるそうです。 アイヌかぁ。 そういえば、やはりこのそばにある大原神社には、鮭の伝説もあるんですよ。 なんなんでしょうね。 気になります。