祭 神:伊和都比売大神 説 明:境内案内板を転載します。 「当社は今を去る一千余年前平安朝の延喜式神名帳にその名を記載する古社で 伊和都比売大神をお祀りしてある。当時から朝廷を初め国司の格別の尊崇を うけたお社である。 伊和都比売大社はもともと伊勢外宮の豊受比売とも云われ、また播磨国一宮 の伊和大神即ち大穴牟遅神の比売神とも云われ古くから御崎明神と称せられ た赤穂民族の祖神である。 もとは大園と呼ぶ前方海上の八丁岩の上にお祀りしてあったのを天和三年浅 野内匠頭長矩が現在の地にお移ししたもので 『播磨なる御崎の石だたみ 海の底まで行くぞ見る』 と歌われているように奇岩の上に老松が舞い岩礁の地である。 かつては日本海々戦の勇将東郷平八郎元帥を始め歴代連合艦隊司令長官の崇 敬厚くしばしば艦隊を率いて帝国海軍の勇士が参拝し、現在でも船員漁師な ど航海安全と大漁祈願はあとをたたず遠近からの信仰は盛んである。 なお特に珍しいのは古くから若き男女による姫神信仰が盛んで、縁結び或い は恋人を得るにご利益のある『姫守』をうける人が多く御崎の景色と共に近 時有名である。」 住 所:兵庫県赤穂市御崎字三崎山 電話番号: ひとこと:海の際に鎮座するお宮で、海風が気持ちよい上に、景色がよく、のんびりと 一日を過ごしたいような気持ちになる神社でした。 さて、ご祭神である伊和都比売命については、記紀に事蹟がありません。 ただ、播磨国風土記・賀古郡には、こんな一文があります。 「四方を望み見られて勅して、『この土は丘と原・野と非常に広大で、この丘 (日岡)を見ると鹿児(カコ・鹿)のようだ』と仰せられた。だから名付けて 賀古郡という。狩をなさると、一匹の鹿がきてこの丘に走り登って鳴いた。 その声が比々といった。だから日岡という。《おいでになる神は大御津歯命 の御子伊波都比古である。》」 この伊波都比古とは、「いわつひこ」と読むのでしょう。 ならば、この神社の御祭神・伊和都比売命とは、非常に近いお名前だとも思 われますね。 ただ、このお名前「岩」に関連するお名前じゃないか、と考えると、たまた ま、岩を神格化した男性神と女性神がおられて、たまたま似たような「いわ つひこ」「いわつひめ」というお名前になった、というだけかもしれません。 ってことで、あんまり「周知の神様のうちどなたか」とこじつけるのはやめ ときます(~_~) ただ、看板にある「赤穂民族の祖神」という言葉は気になります。 赤穂民族とは? それはよくわからないのですが、同じ日、白旗城へ案内してくださった方の お話によると、赤穂は、陸から入ろうとすると山が阻むためか、文化的に、 かなり独特なのだそうです。 方言もかなり違うとか。 その文化を担っていたのが、赤穂民族なのかもしれません。 さて、話は、「縁結び信仰」に辿り着きます。 縁結びの神様として有名なのは、大国主命でしょうね。 なにしろ、恋した女性の数の多いこと。 苦労を共にした恋女房である須勢理姫を悲しませながらも、愛の種を播き続 けたのがこの神様です。 そういう意味では、この神様に縁結びをお願いすると、その後浮気されたり、 浮気したりするんじゃないか、という心配があったりするんですが(^^ゞ 他に縁結びの神様というと、たくさんおられますが、 「なぜ、縁結びに霊験あらたかなのか」 という理由を見てみますと、面白いんです。 まず、 「自分が苦しんだから、他の人には苦しませたくない。だから縁結び」 というパターンがあります。 貴船神社にお祀りされている、「結神社」がこれですね。 ご祭神は岩長姫。 瓊々杵尊に醜いことを理由に追い返された・・・と記紀には書かれている女 神です。 次には、 「もてもてだったから、恋愛のエキスパート」 これは、大国主(大己貴)命があてはまりますね。 しかし、本人はそれでよくても、お相手はヤキモキせにゃなりません。 現に、大己貴命の正妻である須勢理姫は、随分焼き餅を焼いたと古事記には 書かれてます(^^ゞ そして、 「愛を貫いて心中した男女」 というのもやはり、縁結びの神として信仰されてたりします。 大阪市にある露天神社がそれにあたりますね。 曽根崎心中のモデルとなったお初を祀った神社です。 私の無粋な感覚では、 「いや、だって、この世ではうまくいかなかったから心中したんですよね?」 といいたくなります。 自分達の恋愛がうまくいかなかった二人に、 「他人の恋愛がうまくいくようにする力」があるのかどうか? と疑問になります。 なのに、なぜ、人は心中をした二人に恋愛成就を願うのでしょうか? ラフカディオ・ハーンが「赤い婚礼」で、同じ疑問を呈しています。 それに対して、心中した二人に祈っていた「恋する人」は、こう答えます。 「死んだ二人はえらい苦労をしたからです」 人は、自分の苦しみを「救って欲しいと」願う以前に、「わかって欲しい」 と切望するのかもしれません。 最後に・・・これが一番(私としては)妥当だと思うのが、仲睦まじい夫婦 神に、恋愛の成就と幸せを祈るというパターンじゃないか、と思います。 これの例を考えてみたんですが・・・。 これが、全然思い浮かばなかったり(^^ゞ 記紀で、「幸せな夫婦神」ってのがどう〜も、どう〜〜〜も、思い浮かばな かったりするんですよ・・・。 敢えて上げれば、伊邪那岐神・伊邪那美神のご夫婦でしょうか。 日本で始めのご夫婦ですし、一緒に日本を作り上げた夫婦です。 ただ・・・ただ、その、最後の最後に夫婦喧嘩してますけどね(^^ゞ さて、話しは戻って、伊和都比売神社は、縁結びの神として名高い神社なの だそうでしたね? どういう理由からかは、書かれていません。 どんな経緯があったのでしょうね? やはり、伊和都比古大神とよいご夫婦だったのでしょうか。 そして、今、女神一柱だけがお祀りされているということは、伊邪那岐神・ 伊邪那美神夫婦と同じように・・・(笑) でもまぁ、夫婦ってのは喧嘩してなんぼ、という気もするんですけどね(~_~)