祭 神:石長比賣命 木花咲耶姫命 説 明:この神社につきましては、境内案内板はありませんでした。 また、ご由緒書も残念ながら(^^ゞ ご祭神・住所につきましては、平成祭礼データからの引用です。 住 所:奈良県宇陀郡大宇陀町栗野1420 電話番号: ひとこと:さて、ご由緒がわからないのでは、いくらいい加減な私としましても、 神社について、何を紹介するのも、ちと無理です(笑) しかし、なぜこの神社を紹介しようと思ったかと言いますと、 ひとつは、宇陀という土地に対する興味があります。 神武天皇東征の折り、兄は逆らい・弟は従ったとする、ウカシ兄弟は、宇陀 の人です。 また、天武天皇が戦の意志を持って吉野を出た時、最初に力を借りようとし たのも宇陀の人々でした。 そして、何よりも、謎の織姫・中将姫は、継母に殺されそうになった時、こ の宇陀の土地に隠れ住んだのです。 この土地は・・・なにやら、ひどく大きな力持った人々が住んでいたのでは ないかと思わせる何かがあります。 そして、この岩神社を紹介しようと思ったもう一つの理由は、石長比賣命・ 木花咲耶姫命姉妹を、姉妹だけでお祀りしている神社は珍しいな、と思った からなんです。 このご祭神について、もう一度、さらっと紹介してみましょう。 * * * * * 高天原の神々は、葦原中国を支配するのも、高天原の神の子孫であるべきだ、 という妄想をいつからか抱くようになっていました。 そこで、高皇産霊神と天照大神は、何度も使者を遣わし、なだめたりすかし たり、脅かしたりの末、葦原中国の長・大物主命から国を譲り受けることに 成功しました。 満を持して葦原中国入りをしたのは、天照大神の孫・瓊々杵尊です。 いわゆる「天孫降臨」ですね。 その天孫が、葦原中国へ降りてきて最初にした偉業は「恋」でした。 お相手は、大山祇神の娘・木花咲耶姫命。 早速プロポーズすると、大山祇神は、 「OKです。ただし、姉娘も一緒にもらってください。」 と、木花咲耶姫命の姉・石長比賣命を一緒に送りつけてきました。 瓊々杵尊びっくり。 だって、石長比賣命は、瓊々杵尊の好みとは程遠い、ごつごつした醜い女 性だったのです。 ここで、とりあえず結婚しといて、後は相手にしない・・・という手を使わ なかったのは、なぜかわかりません。 ある意味誠実なのか、それとも、よっぽどわがままなのか。 瓊々杵尊は、慌てて、 「私は、木花咲耶姫命と結婚したいのです」 と、姉娘を送り返してきたのでした。 大山祇神が怒ったのなんのって。 「姉を一緒に輿入れさせたのは、『御子孫が岩のように長寿であるように』と の願いを込めてのことでした。しかし、あなたは今『岩』を送り返し、『花』 だけを手元に残されました。あなた様のお血筋は花のようにお栄えなさるが、 短命でしょう」 そんな呪いの言葉を吐いたのでした。 それから、天孫の血筋の寿命は短くなってしまったのでした。 * * * * * 有名な話ですから、ご存知の方がほとんどでしょう。 それにしても、寿命がどれくらい短くなったかをご存知の方は少ないでしょう。 江戸時代の随筆に「一宵話」というものがあります。 作者は、秦鼎という人物。美濃の人で、寛政三年に没しています。 その一宵話しに、「尾張浜主」という小文が収められているのですが、吉川 弘文館の「日本随筆大成19」から、少し引用してみましょう。 「瓊々岐尊・火々出見尊・葺不合尊、此三御代合わせて一百七十九万二千四百 七十余歳也。其内、火々出見尊は、五百八十歳、其御子葺不合尊は、父の尊 に準らへば、五百歳所にもあらんか。此両御代合わせて一千一百歳足るたら ずなれば、瓊々岐尊御一代にて、御寿、一百七十九万一千歳余り受け給へり。 父の尊はかく御長寿なるに、御子の御時、俄かに御短命にて、僅かに五百八 拾歳、御父子の御年、一百七十九万一千八百歳計の違ひなるは、けしからぬ 御事なり。其源は、瓊々岐尊へ、大山祇神より、御女二人奉り給ひしに、姉 磐長姫は、貌醜く、妹木花開耶姫は、容美かりしかば、妹を留めて、姉を帰 し給ひしを、姉の姫も、父の神も恨み詛(とこ)ひ、姉を留給はば、御子孫 の御命、磐石のごとく常盤ならんに、さなかりしから、此後、木花の移落が ごとくなるべしと申給ひし。此を日本紀に、これ世人短折縁(よのひといの ちみじかきことのもと)也とあり。かけまくもかしこき事ながら、今人の短 命なるは、邇々芸尊の御物ずきより起こりしは、いともいとも口をしき事な りかし。神代より、物忌ひする事は、種々伝はりて、たとへば、伊奘那芸尊 の御事より、世の人、一火を忌むは、これその縁也、天稚彦が事より、反矢 を忌むは、これその縁也。と様に、つぶらにしるされて、いむべき筋は、後 の世までも忌む事なり。邇々岐尊の御事は、人の寿命にかかり、重き事の限 りなれば、世人、美女を忌むは、これその縁也。としるさるべきに、さるこ ともなく、又代々の天皇にも、此御さだのあらぬは、いかにぞや。今人の物 忌をするも、大かたかかる様にて、忌むべき事は忌まず、忌まずともあるべ きあたりを、ことごとしう忌むめり。神代よりの風俗にやあらん。いと浅ま し。」 つまりですね。 瓊々杵尊は1791800歳まで生きてるのにその子供の葺不合は、そのわ ずか1/3500にも満たない、五百歳ばかりの寿命しかなかった。 これは、瓊々杵尊の「物好き」が原因である。 だいたい、日本書紀には、「イザナギ・イザナミ夫婦が喧嘩したのは、一火 が原因だから、一火はよくない」とか、「天稚彦は返し矢で殺されたから、 返し矢はよくない」とか、こうるさく戒めているのに、 寿命という大事なことに関するこのエピソードについては、なにも戒めがな い。おかしい。 本来ならば、「美人を奥さんにして、不美人を遠ざけたために人間の寿命は 短くなったのだから、美人はよくない」とするべきである。 なのに、全くそんなことが書かれてない。 なんという不都合なことであろうか!! と怒っておられるわけです。 瓊々杵尊が磐長姫を嫌わなければ、二百万歳近くまで寿命があったことにな るわけですから・・・。 ・・・全くもって、返す言葉もありませんね(笑) かくの如く、磐長姫には、「不美人」という悪評が。 木花開耶姫には、「短い寿命の元凶」という因縁がつきまといます。 その姉妹は、果たして仲がよかったのだろうか?悪かったのだろうか? と考えます。 考えると、どうしても、「仲はとてもよかった」と思えてならぬのです。 磐長姫が、木花開耶姫に嫉妬した・・・という話しはありませんから。 そして、この姉妹。 姉はもちろんのこと、妹も、天孫である瓊々杵尊との仲は芳しくありません。 妹は、一旦瓊々杵尊に嫁ぎますが、一夜で妊娠したことにより、瓊々杵尊に 不貞を疑われるのです。 憤慨した開耶姫は、産屋に火を放ち、 「もし、生まれてくる子供があなたの子供ならば、無事生まれるでしょう。も し、あなたの子供ではないなら皆焼け死ぬでしょう」 と、火に身を投じるのです。 子供は無事生まれるのですが、日本書紀一書(第六)によると、出産の後、 木花開耶姫は瓊々杵尊を恨んで喋ろうとせず、瓊々杵尊は非常に悲しんで、 「オキツモハ ヘニハヨレドモ サネトコモ アタハヌカモヨ ハマツチトリヨ」 と歌を詠んだと言われます。 ・・・私は、こう見えても女でして(笑) こと浮気に関しては、男よりも女の方がハッタリ効くんじゃねぇの?とかな んとか思っております。 産屋に火を放ってそこで出産する・・・なんて事を、正気で思いつきますか? 浮気がバレて逆上したか、それとも、すべて計算の上のトリック・・・。 つまりですね。 この出産劇は、開耶姫の復讐ではないか、と邪推してるわけです。 例えば・・・。 姉に恥をかかせた瓊々杵尊に復讐を誓った開耶姫は、まず他の男と浮気をし ます。 そして、瓊々杵尊が疑ってもおかしくないような状況の下で・・・もしかし たら、瓊々杵尊に、手ひとつも触れさせなかったのかもしれません・・・受 胎を告げます。 当然、瓊々杵尊は自分の子供であるかどうかを疑います。 開耶姫が疑わせるよう仕向けているのですから、それが当たり前です。 開耶姫は怒ったふりをし、火中という、抜群の舞台効果で出産を遂げます。 そんな派手なパフォーマンスをされては、瓊々杵尊の面目はありません。 「おかしいなぁ」 と思っていても、その上さらに、 「・・・だからさ、本当にボクの子なの?」 などと聞けるでしょうか? 瓊々杵尊は、不信感を抱きながらも、生まれた子供を認知するしかありませ ん。 しかも、事情を問いただそうとしても、妻は恨んで口を利いてくれない。 ・・・しかし、開耶姫は恨んで口を利かないのではないのです。 詳しく聞かれると困るから、怒っているフリをしてるのです。 かようにして、開耶姫は、瓊々杵尊を孤独に陥れ、しかも、違う男の子供を 「天孫の子孫」とすることにより、復讐を果たしたのでした。 つまり、磐長姫の呪いで、人類の寿命が短くなったのではないのです。 長寿の血筋であるはずの瓊々杵尊。 その子孫とされている私達人類は、実は、瓊々杵尊の血は一滴も流れておら ず、(天孫族と比べると)短命の、木花開耶姫の浮気相手の血筋を引いてい るのです。 だからこそ、瓊々杵尊の子の世代になってから、急に寿命が短くなったので す・・・。 かくして、木花開耶姫の復讐は終わったのでした。 いや〜、美人ってぇのは、怖いですねぇえ。 ・・・・・。 もちろん、邪推ですよ、邪推(笑) しかし、この磐・花姉妹。 神話に描かれているよりも、よっぽど深い思慮のある女神達に思えてならな いのです。