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射山神社

iyama

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湯垢離池の長命水




  祭  神:大己貴命 少彦名命
  説  明:境内案内板から転載します。
      「平安中期に完成した延喜式神名帳に列せられる神社を式内社と呼ぶが、この射山神社もその一つで
       あり、大己貴命と少彦名命の二座を温泉大明神として古くから祀られてきた。
       この神社は境内の裏手にある湯之瀬川の北岸にそびえる射山(貝石山)を御神体とし、今も山腹八
       合目に神社跡が残っている。また南方二百米の旧道には一の鳥居跡があり、この境内は拝殿御旅処
       とされていたが、天正十六年三月十五日に現在の地に遷座したものである。これまで貝石山の西麓
       に湧いていた温泉が、御社を遷すと温泉もまた新しい御社の北端から出るようになり、榊原温泉な
       なくりの湯を里人は神湯とか宮の湯と呼んでいた。
       江戸時代、この神社を中心に湯治場が東へ広がっており、大変賑わった。
       またこの地は榊原氏発祥の地でもあり、伊勢伊賀の守護であった仁木義長の子孫利長が榊原に住ん
       でその姓を称したといい、利長は伊勢外宮の神官をつとめていたことから、外宮の神紋である車紋
       をとって榊原源氏車としたと言われる。当時榊原氏の氏神にもなっていたことから、神紋に榊原源
       氏車が伝わっている。
       明治になって村内の神社を合祀し、現在は十八座の神が祀られている」
       
      「湯垢離の地の説明
       都人は、日出ずる伊勢の地に神宮を祀った。
       奈良の都から伊勢に向かうには、伊賀を通り、現在風車が立ち並ぶ、笠取山(布引山地)を越えた
       ところが、榊原の最西の集落にあるカリキド(仮木戸)であり、伊勢の入り口であった。
       此より千五百年程前には、神宮参拝の浄めを伊勢に入った此の地で、温泉を供した湯垢離が行じら
       れ、ななくりの湯が、都に知れ亙った。
       都人にとって、大切な温泉を護るために、大貴己命と、少彦名命の温泉の神を祀り、射山神社を建
       立し、跡には延喜式神名帳に列せられる式内社となり、現在に至っている。
       里人は、神宮と所縁のあるこの地に湧く温泉を、宮の湯と呼んできた」
       
      「榊原の温泉と榊の話
       榊原温泉の湧出については太古であったことだけで、誰にもわからないでしょう。ただ千五百年前
       には神宮の湯垢離に使われ、伊勢の地に入ったところで身を清めて神宮に向かわれていたようです。
       奈良の都から東に向かうと伊賀に入り、現在風車が立ち並ぶ、笠取山を越えたところが伊勢で、榊
       原のいちばん西の集落はカリキド(仮木戸=入口)といいます。
       神宮の『湯ごり』を榊原温泉『ななくりの湯』を使ったことで都人にその名が知れわたり『ななく
       り』を題材にした和歌が数多く謡われ、清少納言枕草子では『湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造
       の湯』と讃えています。
       
        一志なる岩根にいずるななくりの
         けふはかいなき湯にもあるかな(夫木集=橘後綱朝臣)
       
        一志なるななくりの湯も君が為
         恋しやまずと聞けばものうし(夫木集=大納言源経信卿)
         
        しるしあらば七くりの湯を七めぐり
         恋の病の禊ぎにやせん(春夢草=牡丹花)
         
       また湯ごりをする都人が此の地に自生している上質の榊に目を付け、継体天皇皇女・大角豆媛命
      (サカギノヒメミコ)が斎王になられたとき、その榊枝を神宮祭祀に使われるようになり、地名が
      「榊原」になったと伝えられます。
       このことを後世に伝えるために二月十二日には当地の榊枝を神宮に献上する『献枝祭』が行われて
       います。
       当時伊勢の神宮は庶民が参る宮ではなく一般開放されて誰もが参るようになったのはずいぶん後の
       こと、『お伊勢さん』として親しまれ、『おかげ参り』などで大変にぎわった事もありました。そ
       のころになると温泉も様変わりして奈良(伊賀)街道と初瀬街道に挟まれた榊原温泉が湯治場とし
       てにぎわいました。
       この榊原の名を氏名に取り入れ榊原氏が誕生し、徳川四天王の榊原康政のふるさとは此の地であり、
       全国の榊原さんのふるさとでもあります」
  住  所:三重県津市榊原町5073
  電話番号:
  ひとこと:長命水は飲めば長生き……なんていう伝承があるのかと思いますが、残念ながら、飲めそうな感じ
       ではありませんでした(^^ゞ
       
       さほど広くない境内には、ピンクのハートが踊りまくり、「恋こ槌」と書かれたのぼりも。
      「恋こ槌」とは、池に鎮座ましました大黒様の小槌のことで、これに触れながら祈ると、恋が叶うと
       書かれていました。
       
       なぜ恋なんだろう……と首をかしげましたが、この地で恋を詠んだ歌があるからってことかな。
       でもね、人は恋をする生き物なんですよ。
       どこの地でも人は、恋を歌に詠むのです……まぁいいけど(^^ゞ
       
       ちなみに『春夢草』は、室町時代の連歌師である牡丹花肖柏による歌集みたいですね。
      『夫木和歌抄』は、鎌倉時代に、藤原長清が編纂した和歌集。
       
       つまり、万葉集をはじめ、平安時代以前の歌集にこの地の湯を詠んだものはないってことかな。
       なぜでしょうね。
       清少納言がこの湯のことを書いているわけで、少なくとも平安貴族はこの湯をしっていたのに。
       その方が不思議……っていうか、「温泉と恋の歌」がないだけなのかもね(^^ゞ
       
       なんにせよ、「恋が叶う」という謳い文句が、人を呼びよせるってことでしょう。
       パスカルは「人は考える葦である」と言ったけれども、「人は恋する葦である」ともいえるんじゃ
       ないかな。

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