祭 神:瀬織津姫命 説 明:滋賀県神社庁を引用します 「創祀年代不詳。蒲生郡志に「佐久良庄三社の一にして祭礼古へより長寸大屋両社と関連し同日なり、社伝 に天応元年の勧請と見ゆ、貞治3年小倉右馬允当社を修造す、小倉氏は佐久良城主なり。三河守実澄は応 仁文明の戦乱時代に活動せし文武兼備の良将たり、又当社を修造す。社蔵に金口あり郡内第一の古物なり」 と記している。明治9年村社に列す。」 大字佐久良の由来を引用します。 「地名の起こりは天応元(781)年、佐久良太利神を勧請・香川社と号したことによるという。 史料にみえる佐久良荘の中心地域であったことから、大佐久良村とも呼ばれたという。嘉吉元(1441)年 に再録された史料に『佐久良』とあるのが初見」 住 所:滋賀県蒲生郡日野町安部居1 電話番号: ひとこと:神社のそばを佐久良川が流れていて、人魚が住んでいたとか。 人を溺れさせる悪さをする反面、美しい尼に付き従った3人の小僧が、村の旱魃に際して人魚の姿になり、 川に水を引いたという伝説も残っています。 しかし、村人は人魚を奇獣であるとして、ミイラにしてしまったというから鬼か(-_-メ) 願成寺に伝わるのがそのミイラなのですが、非公開ゆえどんな姿かはわかりません。 佐久良川の河童のミイラの一つが、高野山の麓にある刈萱堂に行ったという話もあります。 刈萱堂は、刈萱同心の妻の千里の前が、女人禁制のために高野山に登れず、とどまったとされる場所です。 息子である石童丸一人父を追って高野山へ入りますが、同心は「俗世への執着を捨てる」と決心していた ため親の名乗りをあげないんですね。自己中心的なやつ。 千里の前は河童のミイラを持参しているのですが、「仏」として毎日拝んでいました。 幼いころ、ミイラの姿を見た彼女は「なんて苦しそうにしてるんだろう」と心を痛めます。 そして毎日「ミイラの苦しみが解かれますように」と祈り、「私がその苦しみを引き受けてもいいから」 と願ったがゆえに、人魚は成仏したのです。 私は千里の前が好きだなぁ。 そして彼女ゆかりの人魚ゆえ、惹かれもするのです。