祭 神:別雷命 嵯峨天皇 説 明:御由緒書を転記します。 「別雷命・嵯峨天皇を祀り(『特選神名帳』・『神祇志料』は、神野伊加許也姫を祭神とする)、 寛平年中(889〜898)の創立と伝える。 往古は、円通寺の山中にあったが、同寺開基のときこの地に遷ったという。(明治28年神社帳) 一間社流造、柿葺。社殿正面は格子戸4枚建て、他は板壁。組物は三ツ斗組、軒は二軒、周囲に 擬宝珠・高欄付きの縁を巡らし、浜縁を備える。身舎・向拝の丸桁上に反増があり、破風・斗 拱・高欄等の細部手法も室町時代末期の様相を示している。県下における一間社の建築物とし て貴重である。 平成3年11月 兵庫県教育委員会」 住 所:兵庫県丹波市氷上町御油40−2 電話番号: ひとこと:伊加許也姫は山城国風土記逸文に登場する女神で、賀茂建角身命の妻とされます。 その部分を引用してみましょう。 「賀茂の建角身命は、丹波の国の神野の神伊可古夜日女を娶ってお生みになった子を、玉依日子 と名づけ、次を玉依日女といった。玉依日女が石川の瀬見の小川で川遊びをしていた時、丹塗 り矢が川上から流れ下ってきた。そこでそれを持ち帰って家の寝床の近くに挿して置くと、と うとう身ごもって男の子を生んだ。成人式の時になると、外祖父建角身命は、八尋の家を造り、 八戸を堅く固めて、八腹に酒を醸造して、神をつどい集めて、七日七夜宴遊なさって、そうし てその子と語らっていうには『お前の父と思われる人にこの酒を飲ませなさい』と。するとた だちに酒杯をささげて天に向かって礼拝し、屋根の瓦を突き破って天に昇ってしまった。そこ で祖父の名によって可茂の別雷命と名づけた。いわゆる丹塗り矢は乙訓の郡の社においでにな る火雷命である。可茂の建角身命と丹波の神伊可古夜日女と玉依姫と三柱の神は、蓼倉の里の 三井の社においでになる」 つまり、ここ神野は、神伊可古夜日女の坐す場所だったのでしょう。 今、その孫にあたる別雷命が祀られているのは、代替わり?? ほど近く(氷上町賀茂1)に、賀茂大明神を社号とする神社も鎮座しており、由緒書などがなか ったので、詳細はわかりませんが、兵庫県神社庁のサイトによれば、こちらも別雷命を祭って いるようです。 「境内に蛇池あり、龍の形を彫刻せる神石を池中に埋納し祀る。 大干魃の時、之を掘り出し神前へ奉斎し雨乞い祈願する」 とありますから、雷は雨を呼ぶという連想でしょうか。 私自身は、神伊可古夜日女はこの地の女首長だったのかな……と、お参りしてきました。 ここんとこ、頭の整理できないことが多くて(^^ゞ 社務所がなかったのでお守りを授与いただくことはできませんでしたが、お参りを済ませて、 探すつもりもなかったのに、目に飛び込んできたラッキーアイテムをお守りにしようか、と。 心も生活も落ち着きますように。