祭 神:木梨軽太子 軽大郎女 説 明:境内案内板を転記します。 「允恭天皇の皇太子木梨軽太子と軽大郎女の兄妹を祀る。 『古事記』によると、軽太子は同母の妹軽大郎女と許されぬ恋におち、太子は伊予の湯に流された。 姫は恋しくてたまらず追いかけてきたが、二人はついに『自ら共に死にたまひき』とある。『日本 書紀』では、軽大郎女が先に流されたとある。 村の人たちは二人の霊を哀れんで神社を建て毎年四月二八日に祭礼を行っている。 軽太子と軽大郎女を祀った比翼塚がこの東の山裾にあり、その側に二人の詠んだ歌を刻んだ歌碑が 建てられたいる」 住 所:愛媛県松山市姫原町字奥の谷74番地 電話番号: ひとこと:なぜ祭礼の日は4月28日なんでしょう? 日本書紀には、二人が亡くなった日は書かれていません。 ……というより、日本書紀では、木梨軽皇子は都で自殺したと書かれていて、「一説では伊予に流 されたという」とあるのみです。 また、軽大郎女は古事記では「衣通王」とも表現されています。 日本書紀にある允恭天皇の妃と同じ呼ばれ方なので、混同されているのか、それとも当時は、あま りに美しい女性は衣通の姫と呼ばれたのか……。 古事記にも二人が亡くなった日は書かれていません。 4月28日になにがあるのかな? ちょっと気になりますね。