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氣多大社

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  祭  神:大己貴命
  説  明:御由緒書を転記します。
      「天平十三年(七四一)能登国が越中国の一部であった時代、越中国の一宮は現
       在の気多大社であった。
       気多大社が中央の文献に初めて見えるのは『万葉集』である。天平二十年(七
       四八)、越中守大伴家持が出挙のため能登を巡行したとき、まず本社に参詣し
       て、『之乎路から直超え来れば羽咋の海朝凪ぎしたり船楫もがも』と詠んだ。
       本社がいかに重んじられ、のちに能登の一の宮となる神威を当時すでに有して
       いたことがわかる。
       北陸の一角にありながら朝廷の尊崇が篤く、神護景雲二年(七六八)に封戸二
       十戸と田二町を寄せられ、しばしば奉幣を受けた。斉衡二年(八五五)には神
       宮寺に常住僧が置かれ、神階も累進して貞観元年(八五九)には正二位勲一等
       から従一位にのぼっている。このような国家の厚遇は、東北経営、あるいは新
       羅や渤海を中心とした対外関係とも無縁ではあるまい。能登半島の要衝に鎮座
       する気多大社の神威が中央国家に及んでいたのである。近年、南方八〇〇メー
       トルの地に発見された寺家遺跡は縄文前期から中世にわたり、大規模な祭祀関
       係の出土品や遺構類は気多大社とのかかわりあいをしのばせる有力な資料とな
       っている。(後略)」
  住  所:石川県羽咋市寺家町
  電話番号:0767‐22‐0602
  ひとこと:この神社のご祭神は大己貴命。
       言わずと知れた、出雲大社のご祭神の別名ですね。
       
       でも本当に、同一神なんでしょうか?
       
      『日本の神々』によれば、白山には大汝峰があり、高祖太男知(おおなむち)が
       阿弥陀佛の垂迹神として祀られているとあります。
       
       今回北陸を旅して強く感じたのは、「落差」。
       
       2000メートル級の連峰から一直線に海底に落ち込む稜線。
       海の青は色濃く、その深さを思わせずにはいられません。
       
       その地を統べる大汝あるいは太男知と、出雲の国を造った大国主は、その……
       なんと言いましょうか、荒々しさというか、凛々しさというか、そういったも
       のに大きな違いを感じてなりません。

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