祭 神:丹生津比女尊 高野明神 気長足姫命 市岐島姫命 説 明:和歌山県神社庁の説明を引用します。 「旧 粉河町西部にあって、麓四社明神とも、また本山大明神とも云ふ、上丹生谷、下丹生谷の産土 神である。 天野神社(伊都郡かつらぎ町)の『丹生告門』の中に、「遷りまして、名手村丹生乃屋乃所、夜 殿太座」とあるのは、此の地を云ふ。 丹生明神が、まだ天野に鎮座なさる以前に、すでに夜殿太座とあるから、御止宿なさった地であ ろう。 地名丹生乃屋もこれによって起り、天野に鎮座なさった後も丹生明神を此の地にお祀りした。 四社明神と云ふ四座の神は、天野に習ったものであるが、これは少々後の世のことである。 延暦年間のこと、大伴孔子古の子船主が当丹生明神を粉河寺内に勧請して一山の鎮守とした。 粉河祭礼の時当社の神輿も渡御する事を常とする。 古くは大鳥居に勅額があったが天正の兵火に焼失し、現在の額は近衛前攝政殿下筆によるもので ある。 昔は祭礼に参加する人々は、祭の前7日間精進潔斎して毎夜丑の時刻に白衣を着て参拝する習わ しで、此の時御中の者達は奥之院参りと呼んで、共に参加したものである。 神宝太刀のうち1振りは、国指定重要文化財となってをり、古筆大般若経600巻がある。 社殿として古くは、本社の外、拝殿、神楽殿、舞台、御供所、祝屋、宝蔵、神輿庫、末社、大日 堂、護摩當、一二三鳥居、鐘桜等もあった。」 住 所:紀の川市上丹生谷1050番地 電話番号: ひとこと:『丹生都比売神社の歴史』にある読み下し文を見ると、「遷り幸して名手村丹生屋の所に夜殿太 まし」とあるのが、この神社のことのようです。 同じ資料には、その神社は、「川原丹生谷」に鎮座していると書かれていますから、ここらへん は、川原なんですね。 丹生田殿神社もそうですが、丹生都姫は「川」に関係が深い女神のようです。 そもそも降臨されたのが瀧ですし。 それよりも、粉河との関連が気になるかな……。 伊勢神楽歌に、天白は星の神で云々、紀ノ国粉河に下ったとあると聞きます。 そして奈良市に鎮座する丹生神社の伝承によれば、丹生都姫は伊勢神楽が大嫌い、と。 なんなんでしょうね、これは? 気になります。