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鍬山神社

kuwayama




  祭  神:大己貴命 誉田神
  説  明:境内案内板を転載します。
      「当社は、和銅二年(709)に創始されたと伝えられる古いお社で、鍬山大明神
       または矢田社とも呼ばれていました。平安時代に著された『延喜式』神名帳にも
       丹波国桑田郡十九座の一つとして記載されています。
       社伝等にひょると、亀岡盆地が湖だった頃、大己貴命(大国主命)が、黒柄山に
       八人の神様を集め、一艘の樫船に乗り、一把の鍬で浮田(請田)の峡を開き、肥
       沃な農地にされたと伝えます。里人はこの神徳を称え、天岡山の麓にお祀りした
       のが始まりで、名前も開削に使った鍬が山積みになったことから、鍬山大明神と
       呼ばれました。
       また鍬山大明神の横に祀られている八幡宮社は、永万元年(1165)に、誉田
       神が降臨され、以後祀られることとなりましたが、両宮の社殿が現在地に建立さ
       れたのは、慶長十五年(1610)、亀山城主岡部長盛の時です。
       なお、当社で行われていた神事芸能の一つに現在の能楽の源流の一つともなって
       いる『丹波猿楽』があり、平安京はもとより、摂津・河内など各地に出向いて活
       躍していましたが、天正四年(1576)明智光秀の丹波進攻の混乱により悉く
       廃れたと言われています。
       その後、歴代亀山城主が神領等を寄進するなど保護に努め、徐々に祭礼が復興し
       ました。十月二十四・二十五日の秋の例祭は、十一基の山鉾が出て祇園囃子を奏
       で、口丹波の祇園祭としても親しまれています。この山鉾行事も藩主と町衆が一
       体となって守り伝えてきたものです。」
  住  所:京都府亀岡市上矢田町上垣内22−2
  電話番号:0771−22−1023
  ひとこと:この神社も、「国作りの神」として名高い、大己貴神に関わる神社なのですね。
       大己貴神と呼ばれる神が国を開き、支配したのはどれほど広い地域だったので
       しょう。

       さて、大己貴神といえば、国作りの神としての顔と共に、「恋多き男」としての
       顔も有名ではないでしょうか。

       そんなわけで、正妻である須勢理姫は、かなり辛い思いをされています。
       そして、その他の女性も・・・ですけどね。

       しかし、須勢理姫については、古事記に、はっきりと「嫉妬した」と書かれてい
       ますから、多分、強烈に嫉妬したのでしょう。

       それは、大己貴(八千矛)命が、越の沼河姫と一夜を共にした後のこと。
      「その神の適后須勢理毘売の命、いたく嫉妬したまひき。かれその日子ぢの神侘び
       て、出雲より倭の国に上りまさむとして、装束し立たす時に、片御手は御馬の鞍
       に繋げ、片御足はその御鐙に踏み入れて、歌よみたまひしく、
      『ぬばたまの 黒き御衣を まつぶさに 取り装ひ 奥つ鳥 胸見る時、
       羽たたぎも これは宜はず、辺つ浪 それに脱ぎ棄て、
       そに鳥の 青き御衣を まつぶさに 鳥装ひ 奥つ鳥 胸見る時、
       羽たたぎも これは宜はず、辺つ浪 それに脱ぎ棄て、
       山県に 蒔きし あたねつき 染木が汁に 染衣を まつぶさに 
       鳥装ひ 奥つ鳥 胸見る時、
       羽たたぎも 此しよろし。
       いkとこひゃの 妹の命、
       群鳥の 吾が群れ往なば、引け鳥の 吾が引け往なば、
       泣かじとは、汝は言ふとも、山跡の 一本すすき 項傾し汝が泣かさまく
       朝雨の さ霧に立たむぞ。
       若草の 嬬の命。
       事の語りごとも こをば。』 
       ここにその后、大御酒杯を取らして、立ち依り指挙げて、歌よみしたまひしく、
      『八千矛の 神の命や、吾が大国主。
       汝こそは、男にいませば、うち廻る 島の埼々 かき廻る 磯の埼におちず、
       若草の 嬬持たせらめ。
       吾はもよ 女にしあれば、汝を除て 男は無し。汝を除て 夫は無し。
       文垣の ふはやが下に、蒸被 さやぐが下に、
       沫雪の わかやる胸を 栲綱の 
       白き臀 そ叩き 叩きまながり ま玉手 玉手差し纏き 股長に 寝をしなせ。
       豊神酒 たてまつらせ。』
       かく歌ひて、すなわち盞結びして、項懸けりて、今に至るまで鎮まります。」

       つまり、大己貴命が、他に妻を持ったので、
       大己貴命は、
      「嫉妬深い、我が妻のことだもの。怒ってるに違いないよ」
       と考えて、
      「美しい愛しい我が妻よ。
       あなたは、私が浮気をしたら悲しむでしょう。」
       と妻に問いかけ、
       妻は、
      「あなたは男だから、あちこちに奥さんを持つでしょうよ。
       私は女ですからね、あなた以外に夫は持たないわけですよ。
       今日は、私を抱いてちょうだい」
       と答えた。
       そして、その後、今日に至るまで、大己貴命は、そこにいらっしゃる。
       そういうことになりましょう。

       つまり、この浮気夫は、最終的には妻のもとで落ち着いたというわけですね。

       現代でも、不倫男は、結局妻のところに帰ることが多いですから・・・。
       ここらへん、神代と現代、何も変わらないのかもしれません。

       須勢理姫は辛い思いをしましたが、正妻であったがために、最終的には平穏
       を得たわけですね。

       ということは、浮気相手であった女性達は、長く孤独を噛み締めねばならな
       かったということになります。

       ライナァ・リルケという詩人がいます。
       私は詩については、全くわからないんですが、彼が「訳した」とされる「ポ
       ルトガル文」という小編があります。

       これは、題名通り、「ポルトガル語の手紙」なのですが、これが・・・。

       男がポルトガルにやってくる。
       そこで、ある尼僧とひと時の恋に堕ちるが、花の時は短し、男は国に帰って
       しまう。

       そんなありふれた状況の中で、
       去っていく恋人にあてて、
       尼僧が書いた手紙が、この「ポルトガル文」なのです。

       この赤裸々な手紙を読んで、笑える女性(男性も)は、幸せかもしれません。
       今、まさに捨て去られなんとする女の激情と悲しさ・相手に対する思いやり
       と悲憤。
       そういうものが、交互に去来し、波打っています。

       例えば、こんな一文があります。

      「でも、あなたは、口から出まかせの理由を並べてフランスへ帰っておしまい
       になりました。『船が出る』出る船は、勝手に出しときゃいいじゃないの。
      『家のひとから手紙が来たから、なんのかんの』わたしの家のものから出た横
       槍と、わたしはどれだけ戦ったか、ご存知のはずでしょう。『僕の体面を維
       持するには、おまえを捨てるよりみちはない』わたしのほうは体面など、最
       初から捨ててかかっておりますのよ。『国王の命令だ、叛くことはできない』
       ひとの噂が、そっくり本当ならば、『国王様はあなたのご転勤を別にお命じ
       になった事実はない。願い出れば、軍人の身分だって解いてくださる』はず
       だそうよ」

       どうです。
       身も蓋もないでしょう?

       が、ひとしきり荒れ狂った後、彼女はこう続けます。
      「ああ、ああ、心のなかで、愛しいと憎いとの二つを、はっきりと色分けして
       いく以外に、わたしにはどんな生き方があるというのでしょう。現在わたし
       の心の隅々まで占めている愛憎の二筋道を吹き切って、迷いのない、のどか
       な暮らしを送れる日が、はたしてわたしには訪れてくるでしょうか。いいえ、
       そんな味気のない、切っても血もでないようなのは、わたしには用はないわ。」

       恋する女の熱情が表れているでしょう?

       本当は全篇引用したいほど、これ名文のオンパレードなんです。
       いや、リルケが訳したから、かもしれないんですけどね(笑)

       しかし、この尼僧は、わざわざ手紙にしたので、その気持の揺れが人にも見
       えるカタチで残ってしまいました。

       でも・・・。
       恋の別れの場面では、誰の心にも・・・ふる側の心にも、なにがしかの嵐や
       うねりはあるでしょう?

       そう思うと・・・。
       大己貴命とは、なんつ〜罪作りな男神なのか、と。

       国作りの神としての業績で、覆おうとしても覆いきれないものがある、と。

       現代に生きる私でさえ、
       悲しい別れというものを経験したことのない私でさえ、そんな風に思います。

       とすれば、少し前の時代、女性たちはこれらの悲しい女性に対して、それは
       深く共感したんでしょうね・・・。

       でも、大国主(大己貴)命といえば、「縁結びの神様」なんですよね〜。

       ・・・・・。
       なぜだぁあああああああ!!??

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