祭 神:品陀和氣命 説 明:境内案内板を転記します。 「往古、允恭天皇の皇太子である木梨軽皇子が妹の軽大郎娘皇女と愛し合い、近親相姦の罪で皇女が 姫原の地に流され、軽皇子を思い創祀したという。 その後皇子は伊予に逃れ、この地に住み、その住居を客王子宮と言い、現在の客王神社となったと いう伝承が有ります。 最終的に二人は心中した。 伊予の民話に、昔、真夜中に客王神社の参道を歩いていた男が絶世の美女を見かけて呼び止めよう としたら、スーッと消えてお社の戸がガタンと音を立てて閉まったという言い伝えがあり、二人は 常世の国に行き、幸せに結ばれたと言われています」 住 所:愛媛県松山市下伊台町1127番地 電話番号: ひとこと:軽大郎娘が軽皇子を思って建て、のちに二人が住んだ場所なのに、なぜ祭神は品陀和氣命なんでし ょう? 愛媛県神社庁のサイトによれば、多幸宮法皇が願文を納め、勝加山城主河野伊予守通光が父通智の 意志により社殿を改修し、幣帛を奉って祭祀を行ったとありますから、このときに祭神が決められ たのかもしれません。 それにしても、悲しい恋に死んだ二人が、あの世で幸せに暮らしていると伝える民話はうれしいな。 人って優しいなって思います。