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賣布神社

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  祭  神:主祭神 速秋津比賣神(水戸ノ神、祓戸ノ神)
       相殿神 五十猛命 大屋津姫命 抓津姫命(樹種ノ神)
       摂社神 櫛八玉神(漁労、調理、製陶ノ神)
  説  明:案内板から転載します。
      「御神徳とその意義
       当社は遠く神代において摂社の御祭神である櫛八玉神が湖の流れの中にあるとされる速秋津比賣神を生命の祖神
       としてお祀りになったことに始まり、後に樹種の神とされる相殿の三神が合わせ祀られたと伝えられています。
       このことは、海の潮の働きと地上の樹木の働きがあいまって海河山野の事がもたらされ、人々も生かされている
       ことが示されているのです。
       神ながらの道の原点は、大自然の営みに畏敬の念をはらい、自己の生き方を律して、諸々の禍いや過ち、そして
       気枯れ(穢れ)などあればこれを見直し、人本来の生き方や生命力を甦らせることにあり、それが『祓え・清め』
       の真の意義でもあります。
       そのための活力(気)は、『潮の気(水気や塩気)そして、樹木の気に宿る神々によってもたらされる』と信仰
       されてきたのです。
       社名と神社の歴史について
       当社は『出雲国風土記』に『賣布社』、『延喜式』には『賣布神社』と記された古社であり、社名の『めふ』とは、
       海藻や草木の豊かに生えることを意味しています。当社の元の鎮座地は、古代の意宇の入海(今の宍道湖)の西部
       湖岸と考えられ、潮の流れや地形の変動に伴い遷座され、岩崎鼻(袖師ガ浦)に鎮座した時代もあり、潟地が広が
       って白潟の知が形成されて現在地に遷座されたのが十三世紀頃と考えられ、『白潟大明神』とか、十五世紀には、
      『橋姫大明神』とも称され、水郷『松江』の産土神として鎮座しました。
       また、中世には港町『白潟』の宮座の権利として神田や漁業権を保有してきた歴史があり、祭儀では摂社の『櫛八
       玉神』の御事績と関連して、古代神話の国譲りの段に因む神事が継承されてきました」
  住  所:島根県松江市和多見町81
  電話番号:
  ひとこと:『古事記』で、櫛八玉神が登場するのは、国譲りに際してです。
       高天原に葦原中国を献上した大国主は、冥界に隠れると宣言します。
       その大国主のために料理人を務めたのが櫛八玉神。
       まず祝い言を言った後鵜の姿になり、海の底の埴土をくわえてきてたくさんの皿を作っています。そして海草の幹
       を刈り取り、碾き臼と火打ち杵を擦って火を作り、唱え言をしています。
      「この我が燧れる火は、高天の原には神産巣日御祖の命と足る天の新巣の凝烟の八拳垂るまで焼き挙げ、地の下は、
       底つ石根に焼き凝して、栲縄の千尋縄うち莚へ、釣する海人が、口大の尾翼鱸さわさわに控きよせ騰げて、打竹の
       とををとををに、天の真魚咋献る」
       つまり、清らかな火と素晴らしい魚でお料理いたしましょうということが言いたいようです。
       
       そんな神が、速秋津姫を祀ったというわけですね。
       
       速秋津姫は流れの速い場所におられる海の神でもあり、祓いの神でもあります。
       どちらの霊験を期待してのことでしょう。
       
       広い境内地ではなかったのですが、なにかなしに「シン」とした雰囲気のある神社でした。

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