祭 神:天日槍命 出石乙女 説 明:境内案内板を転載します。 「当神社は、天日槍神と出石乙女(伊豆志袁登売神)、また土野庄が京都下鴨車両の荘園であっ た関係で、加茂大明神も祀られていることから、通称加茂さんとも呼ばれ、親しまれています。 神社の創立年代はあきらかではありませんが、諸書によりますと神武天皇六年三月出石丘に鎮 座との説もあります。十世紀に成立した『延喜式』にも記される古社で『名神大』の神格を与 えられました。永禄十一(1588)年に山名祐豊により再建、また本殿は万治二(1659)年に修 理、安永六(1777)年に社殿改修されています。建物は社殿・拝殿・おこもり堂等約五十二坪、 境内は約八千六百坪と広大な敷地を有しています。 年間を通じ、六回のお祭りがあり、特に秋祭りの本宮では桐野・寺坂・日野辺・中野・新宮の 各区が当番制で大人が貴船神社から神輿を担ぎ、少年が逆方向から邪魔をしながら当神社に帰 着することになっています。また拝殿では少女たちによる『浦安の舞』が奉納され、盛大に祭 事が催されています。 出石乙女の伝説(『古事記』中巻応神天皇条より) 出石乙女は美しく心の優しい女神で八十神たちが求婚するも、ことごとく失敗。そこで秋山之 下氷壮夫というお金持ちの兄神が求婚するも失敗。財のない弟神の春山之霞壮夫に『お前が乙 女を得たならば衣服を脱ぎ与え、大瓶一杯の酒と山海の物すべたやろう』と約束しました。 財のない弟は母神にそのことを相談しました。母神は山から取ってきた藤つるで織った衣服を 着せ、藤で作った弓矢を持たせ乙女のもとに行かせました。すると、弟神の衣服と弓矢が藤の 花と化して花が咲き、その様に見とれた乙女の心を射止めることができ、求婚に成功しました。 ところが、兄神は約束を守らないので、母神が『神が約束を破るとは……』と嘆き、兄神に呪 いをかけました。兄神はやせ細り、病気で八年間寝込んでしまいました。やがて兄神が悔い改 めたので呪いがとかれ、元の立派な若者になり、その後神々一家にも平穏な日々が続いたとい うことです。 全国でも珍しく女神が祀られている神社です。どうか美人になりますように、また心優しくな りますように、良縁が授かりますように、と願いながらご参拝ください。 寺坂地区コミュニティ『床尾の里てらさか』」 住 所:兵庫県豊岡市出石町桐野986 電話番号: ひとこと:出石乙女が祀られている神社があるとは知りませんでした。 出石乙女がこの地の女神なのならば、やはりこのあたりは女首長が治める地だったのでしょうね。 天日槍神は伊和大神と土地争いしていますが、伊和大神も安志姫に求婚して振られています。 天日槍神は赤留姫に捨てられて、日本まで追いかけてきて、最終的にこの地に留まります。 赤留姫がとどまったのは難波ですが、赤留姫もまた女系の氏族の長じゃないかと思われます。 いろいろ気になるのですが、落ち着いたときにでも。