祭 神:天兒屋根命 素戔嗚尊 説 明:境内案内板から転載します。 「創建 千余年前、大和の春日大社の安住処として天児屋根命を奉斎す。 その後大化四年(648)奈良の三笠山から素戔嗚尊、龍神媛及び櫛稲田姫尊を勧請す。 和銅三年(710)興福寺東門院領『閼伽桶の庄』となり慶長五年(1600)関ケ原合戦以後伊勢領 となる。 投射に遺る南北朝時代文中二年(1373)の棟札にも大和州閼伽桶庄宮と記されており、三殿並立の 朱塗の春日造も明治二十五年現在の神明造に改められた。 閼伽桶の井とお水祭り 清和天皇貞観元年(859)十一月九日、春日大社に水送りし正月暦を刷った と伝う。諸病平癒、諸願成就、水商売繁盛の霊水なり。現在は七月三十一日祇園宵宮に水みこしが本社 に渡御する。 水屋の大楠木 神木にして天然記念物、樹齢千年以上、根廻り二十九メートル、樹高三十五メートル春 日さま、お稲荷さまを祀る。 礫石の伝説 当社裏の香肌峡六百メートル下流に石灰岩の巨石があり、礫岩と呼ぶ。左岸の上の古道に 歌碑があり、弘化四年(1847)大庄屋・滝野知雄が『流れてはむかしに帰る川俣川礫岩うつ水の白 浪』と刻み、往古和歌山街道を往来する旅人はこの石に礫を投げ、一度で当たれば男児出産するとて旅 情を慰めた。 伝説は、昔お伊勢さまが白馬に乗って珍し峠にさしかかられ、水屋の森から鹿にまたがった春日さまが 出迎えられた。二神は伊勢と大和の国境を決めるため、笹舟を浮かばせ、巨石を投げ、笹舟の留まる処 を境とした。 これ以降、高見山が両国の境になったという。 宮家の御信仰 一品京極家仁王の胡佐の宮誕生報恩の令旨が奉納されている。 本居宣長の歌碑 当社の西方二百メートル赤桶橋たもとに建つ。 いにしへにたがおこなひしなごりとて 名にはおひけん閼伽桶の里」」 住 所:三重県松阪市飯高町大字赤桶2507 電話番号: ひとこと:この神社から徒歩5分ほどのところに、「姿見の池」と呼ばれる水たまりがあります。 川辺の岩に穿たれた小さな水たまりで、なんとなく「何かありそう」と思わせる佇まい。 伝説では、倭姫が伊勢巡行の際、姿を映して化粧をしたと伝わっていますが、顔を映そうとしたら、相 当乗り出さないと無理で、化粧なんかしてる場合じゃありませんでした(笑) それにしても、春日大社にこの地から水送りをしたというのは面白い。 伊勢から天照大神が訪れたとき、春日の神が出迎えたというのも、不思議です。 だってここ、春日野よりずっと伊勢に近いですもん。 天照大神が出発するよりずっと前に、春日神は出かけなければなりません。 とはいえ、ここで伊勢と大和の境を決めたというのは、何かしらの史実に基づいてるんでしょうね。 大化四年に奈良の三笠山から素戔嗚尊、龍神媛及び櫛稲田姫尊を勧請しているというのも、三笠山のど こから勧請したんだろう? 龍神媛という神様が祀られた神社はどこにあるんでしょう? 資料を見る限り、見当たらないのだけれど。 スサノオとクシナダヒメと共に勧請されてるわけだから、この二方と関係があると思われるのだけれど?? 謎が謎を呼ぶのでした。