祭 神:帯仲比古命 譽田和氣命 息長足姫命 丹生都比賣大神 高野御子大神 天満自在天神 事代主命 奥津彦命 奥津姫命 説 明:境内にあった案内板を転載します。 「当名手八幡神社は、紀北御開拓の祖神、丹生津比売大神御降臨の聖地にして、産土神として斎き祭り しが、神功皇后が三韓征伐の後、筑紫より御凱旋の御砌、畏くも此の応神山に御注輦なされ、御安産 となるを以ち、その縁をもちて応神天皇(幼名・誉牟田別命)を当社御本殿に勧請し奉る。 天正年間織田家高野山攻の折、兵火にかかり、社殿神宝旧記悉く焼失せり。元本殿六社有り社領広大 なり(東西四町、南北二町)。且つ、古義真言宗山階派(門跡寺院歓修寺)別格本山清浄金剛院を別 当と成し、崇高真に荘厳を極めたりと云う。 鳥居の御額に八幡宮とあり、慶安元子年紀州徳川家初代藩侯より奉納される。なを、当神社は皇族方 が熊野詣等の御行幸啓をなされる折には、御旅所として古来より定められ、第七十七代後白河法皇、 第八十二代後鳥羽上皇、第九十六代後醍醐天皇の御行幸あり。畏くも南北朝時代後醍醐天皇が吉野に 朝廷を開かれし折、当神社に御行幸の御砌、今日に至る迄中止された事のない秋の祭礼に奉納される 稚児の渡御式の祭事を起し給へる。又、今は絶へて久しいが、祭礼六月晦日は能執行あり、役者は和 州天の川より来る。又、八月十五日は流鏑馬、馳馬あり、馬数は大抵百騎許であった。 当神社は名手荘一箇村の産土神であり、社格は旧村社である」 住 所:和歌山県紀の川市穴伏464 電話番号: ひとこと:高野山腹にも、丹生都姫が降臨したと伝わる丹生の滝があります。 丹生都姫は各地を遍歴した女神ですから、ここはそのうちの一つでしょうね。 丹生告門には、「名手村丹生屋の所に夜殿太まし」とあります。 でも個人的に、そこに神功皇后が絡んでくるのが面白い。 丹生都姫は、多面的な性格を持つ女神ですが、多分紀州の女首長だったのではないかと私は思ってい ます。 であれば、伝説的女傑でしょう。 そこには、日本書紀きっての女傑・神功皇后の面影も重なります。 和歌山は、女神の気配が色濃い。 だから好きなんですよね(*^^*)