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長尾神社

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  祭  神:水光姫命 白雲別命
  説  明:境外にあった案内板を転記します。
      「難波と飛鳥京を結ぶ『竹内街道』が、堺−王子−下田−壷坂のコースを取り、
       伊勢・長谷街道と続く『長尾街道』と交差した『長尾の森』に鎮座している長
       尾神社は、水光姫命とその父神、白雲別命を祭神とし、『水の根源』の神とし
       ても古くから近在の人々に尊敬されてきました。」
      「長尾神社
       長尾の森の広大な神域に鎮座し、社伝によると、祭神は白蛇の姿で降臨された
       水光姫命とされ、太古以降、竹内街道や長尾街道をゆきかう人々をも守護する
       神として栄えたと伝えられています。
       伝説や逸話
       大蛇
       昔、大和に大きな蛇が住んでいました。三輪山を三重に取り巻き、まだその尾
       は長尾まで届いていました。ここから、三輪明神は頭で、長尾神社はその尾に
       当たると伝えられています。三輪明神ではナガモノ(蛇)を祀るという訳で卵
       を供えます。」 
  住  所:奈良県葛城市當麻町長尾471
  電話番号:
  ひとこと:この神様は、蛇は蛇でも「白蛇」なのですね。

       このご祭神について、神社新報社「日本神名辞典」を調べてみますと、
      「水光姫(みひかひめ)
       神武天皇が吉野に行幸した時、水を汲ませにいかせた人が、帰ってきて井光女
       がゐるといった。そこで井光女を召して、あなたは誰かと問ふと、私は天より
       下り来た白雲別神の女で、名は豊御富であると答へた。天皇は豊御富を水光姫
       と名づけた。吉野連が祀ってゐる水光神のこと(姓氏禄)」
       と書かれています。

       しかし、「井光女」ってなんなんでしょうね(^^ゞ?
      「あ、井光女がいる!」
      「あ、本当だ、井光女だっ!!」
       という会話が成り立つくらい、一般的な名詞なんでしょうか、井光女って(笑)

       ただ、「水を汲ませに」行った人が、井光女に会ったということ。
      「井」「水」という字が宛てられていること。
       そんなことから、どうやら、水に関係の深い神であるらしいことがわかります。

       そもそも蛇神様ですしね。
       蛇神様といえば、水神の化身であることが多いです。

       そして、この神についてわかることは、もう一つ。
       吉野連が祀る神である、ということでしょう。

       吉野で「井光」。
       とくれば、すぐにピンと来る方も多いんじゃないでしょうか?

       日本書紀・神武天皇条には、こんな話が出てきます。

      「天皇は吉野あたりを見たいと思われて、宇陀の穿邑から軽装の兵をつれて巡幸
       された。吉野に着いたとき、人がいて井戸の中から出てきた。その人は体が光
       って尻尾があった。天皇は『お前は何者か』と問われた。答えて『手前は国つ
       神で、名は井光(いひか)といいます』と。これは吉野の首部の先祖である。」

       しかしまぁ、なんちゅうか。
      「井光」が、「女」だった場合は、天皇の御前に召して、「水光姫」という称号
       まで与えているのに、
      「井光」が、「男」だった場合には、「お前は何者か」と問うて、しかも、尻尾
       があった・・・なんて陰口たたくなんてぇ、このぅ!
       このどスケベ!!

       ・・・いや、まぁ、それはそれとして(笑)

       社伝では、
      「祭神は白蛇の姿で降臨された水光姫命とされ、太古以降、竹内街道や長尾街道
       をゆきかう人々をも守護する神として栄えた」
       とありますから、順番としては、

       1.豊御富、白蛇の姿で降臨
       2.街道の守り神として栄える
       3.神武天皇東征、豊御富と出会う
       4.豊御富、水光姫の称号を賜る

       という順番になりそうです。

       そう考えると、豊御富が「水光姫」の称号を得たのは、神武天皇に水を恵んだ
      「功績」と、街道を案内するか、街道通過の許可を与えた「功績」に依るのかも
       しれませんね。

       つまり、功績っつぅか・・・。
       この地の王女が、憐れな旅人に、水と宿を恵んだので、旅人は感激して、
      「お優しい水光姫!」
       と慕った。

       後に紆余曲折を経て、旅人(もしくは旅人の子孫)は偉くなった。
       偉くなると、
      「僕ちんの生涯を記録に残しておきたいっ!」
       などと考えてしまうのが、人間の可愛らしさとでも言いましょうか。

       例にたがわず、この旅人も、「我が闘争」・・・だとヒットラーになっちゃう
       な、えぇっと・・・まぁ、とりあえず、自伝を残そうとするわけですね。

       自伝ということは、主観が入りまくります。
      「あいつは僕のこといじめたから、悪く書いてやろっと・・・生来残酷な性格で
       妊婦の腹を割いた・・・と、ひょえ〜本当にやってたとしたら、ちょっとあぶ
       ね〜やつみたいだな。ま、ちょっと大げさに書いてもいいだろ」
      「あ、あいつは、僕の弁当食ったんだった!!尻尾があるって書いてやるぅ、ち
       くしょうっ!!」
      「そうそう、あいつは、『おまえなんか偉くなれるわけないじゃん』とかぬかし
       やがったっけ。偉くなってやったもんねっ!へへんっ!あいつのことは、『兄
       猾』っていう名前で書いてやる。ざま〜〜〜みろっ!」
       ということも、勿論あったでしょうね。
  
       そして、自分がまだ憐れな旅人だったころ、水を恵んでくれた優しい女性領主
       のことも書いておこうか、となったとしましょう。

      「優しい人だったもんな〜。悪くは書けないよな〜。でも、僕ちんが、水と宿を
       恵んでもらった、なんて死んでも書きたくないしな〜。う〜ん、あ、そうだ。
       あの女性領主は、僕が旅の途中に出会った水を司る女神だということにしよう。
       僕ってあったまい〜〜い!!」

       そんな経緯だったんじゃないでしょうか(笑)

       ・・・話が本題からかなり遠くへ行ってしまったなぁ・・・。

       とりあえず、この水光姫は、白蛇の神様で、吉野連に崇拝された、というとこ
       ろに戻りましょう。

       吉野連とはどのような人々でしょうか。
       それが・・・どうもわからない(^^ゞ

       日本書紀の「井光」は、「体が光って尻尾がある」というわけですから、スラ
       イムかなんかであった可能性が高そうです。

       ・・・だから、冗談ですって・・・

       人の体が光って見えるということは、濡れてたかなんかでしょうか?
       そして、尻尾がある、というわけですから、お尻から何かが出たような服を着
       ていたんでしょうね。
       お尻から尻尾状のものが出た服・・・。
       尻あてかなんかでしょうか?吉野の山ですからね、防寒の意味があるものかも
       しれません。

       そうすると、吉野首・吉野連の姿がおぼろに見えてきます。
       山に住む、「山人」。

       私は、吉野という地を、「不思議な地だ」と見ています。

       大海人皇子も・源義経も・後醍醐天皇も。
       逆境にある「聖なる人」が逃げ住む地なのです。
       そして、その地に一旦隠棲すると・・・。

       大海人皇子は、壬申の乱に勝利し、天武天皇となりました。
       源義経公は、返り咲きこそしませんでしたが、無事奥州まで逃げ延びることが
       できました。
       後醍醐天皇は最後は落ち延びるほかありませんでしたが、最初は、吉野に近い
       河内金剛の楠木正成公の策略に助けられ、再び天皇の地位に返り咲きました。

       吉野の地には、なにかとてつもない力を持った人々が住んでいたのではないか、
       と思っているのです。

       吉野は修験の山です。
       大海人皇子は、「占星をよくする」という、「呪術的」な才能を持つ天皇でし
       たから、何か修験の技を身に着けていたのかもしれません。

       源義経公は、烏天狗に戦術を学びました。天狗と修験者の関係は言うに及ばな
       いでしょう。天狗は修験者の姿をしていますから。
       そして、歌舞伎「勧進帳」を見ると、義経一行は、奥州に逃げ延びる時、修験
       者に化けました。

       後醍醐天皇に至っては、言うよしもありませんね。
       楠木正成公は、修験者ネットワークにより天下の情報を集めていた、と言われ
       ていますし、なにかと修験者と関係の深い人物です。

       そう考えると、歴史の表舞台に、「吉野連」「吉野首」が登場しない理由もわ
       かります。
       彼らは、「忍び」のような働きをしたのではない、と。

       妄想にしか過ぎません。
       でも・・・。
       忍びとは?
       修験とは?
       そういうことを考えると、強ち突拍子もない考えではないように思えてならな
       いのです・・・多分ね(笑)

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