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乗瀬御嶽

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  祭  神:玉メガ
  説  明:境内案内を転記します。
      「乗瀬御嶽(ぬーしうたき)
       乗瀬御嶽の発祥は1400年頃で、これはクンマウキャー御嶽から伊良部元島、遠
       見村への変遷の時期にできたものと思われる。
       女神『玉メガ』を祭り、航海の守護神として崇められている。また、旧暦の11
       月と12月には、カンウリと称する神願いを行うが、この神願いは、琉球の交易、
       宮古の密貿易や八重山などとの交流があったことを裏付ける祭りである。」
       
       宮古島旧記「御嶽由来記」を転載します。
       
      「乗瀬御嶽女神玉メガト唱
       諸願に付、伊良部村中崇敬仕候事由来
       昔、神代ニ伊良部村百姓、容顔美麗ナル娘を産ミ、餘リ厳シケレバ世人名ヲバ
       玉メガトゾ呼ビニケレ。十五・六歳ノ頃、潮汲ニ乗瀬ノ浜ニ遣シ、其処行衛ヲ
       シラズ失申候。
       父母啼悲シ、尋ヌレドモ見不申候。処失テ三ヶ月ニ姿形モ違ハズ乗瀬山ノ麓ニ
       茫然ト立居申候。父母無限悦ニ近寄抱付候ヘバ、袖ヲ引切、我ハ是島守護ノ神
       ト成候トテ、乗瀬山ニ飛入、掻消様ニ失申候。父母泣ク泣ク切候衣ノ袖ヲ娘ノ
       形見トテ乗瀬山ニ葬置神ト拝シ為申由言伝有。崇敬仕奉事」
  住  所:沖縄県宮古島市伊良部
  電話番号:
  ひとこと:いらぶ観光協会のサイトによれば、玉メガはあまりに美しいために、外出する
       時には顔に黒い墨を塗っていたのだけれど、たまたま墨を塗るのを忘れた日に
       行方不明になったのだと説明されています。
       
       また、御嶽由来記では、玉メガは乗瀬山の麓に茫然と立っていたとなっていま
       すが、いらぶ観光協会の説明では、「母親が山に探しに行くと、突然目の前に
       機織りをしているタマメガが現れた」としています。

       個人的に、この「機織り」に興味を持ったのですが……。
       この「機織り」について言及している資料がわからないんですよね(^^ゞ
       
       なぜ、機織りに興味を持ったかについては、ピンと来る人も多いと思います。
       
       そう。
       美しい乙女が、神の嫁となるとき、機織りが関係することが多いからなんです。
       
       たとえば、御伽草紙の「天稚彦物語」でも、蛇に化けた天稚彦が娘を嫁にする
       とき、娘は機屋で彼を待っていました。
       
       また、「機織り淵」の伝承は、各地に残っています。
       つまり、娘が淵の主にとられてしまうのですが、その後、淵のそばを通りがか
       ると、どこからともなく機織りの音が聞こえてくるというもの。
       少し怪談めいていますが、神の嫁となった娘は、神の世界においても機織りを
       しているのだろうという考え方が見てとれるような気がします。
       
       機を織るという作業にどういう意味があるのか。
       
       一つは、「女性にとってとても重要な仕事だから、神の国へ行ってもサボっち
       ゃだめ」というような考えがあったのかもしれません。
       
       そして「織物を織り上げる」ことにより、なんらかの世界が生まれるという考
       え方があったんじゃないかという気もします。
       
       また、「機織りをする女性をこそ、神は愛する」というような発想があったの
       かも??
       
       よくわかりませんが、機織りと神嫁のつながりが、ここ宮古島にもあったとい
       うことに興味をひかれたのでした。
       
       また、あまりに美しい玉メガが、神にとられないよう、顔に墨を塗っていたと
       いうのも面白い。
       
       白い顔が美しいという感覚があったということでしょうか、この南の島にも。
       
       それとも、顔に墨を塗るということに、何か呪的な意味があるのか。
       
       しかし、結果的に玉メガは伊良部島の守護神として今に至るまで崇拝されてい
       るわけですから、アンハッピーエンドではないような気がします。

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