祭 神:御嶽大神 普寛霊神 大黒天 不動明王 説 明:境内案内板を引用します 「普寛行者。基礎御嶽山、越後八海山、上州武尊山、武州意和羅山などを開山・中興した木食行者。享保十六年(1731) 武州秩父に生まれた。俗名、木村好八。はじめ江戸に出て士官したが、明和元年(1766)三峰観音院に入り、普寛と 名を変え本山派の修験者となった。 天明②年(1782)から木食行を始め、諸国を遊行して数多くの霊山を開いた。まず三笠山(群馬県)と意和羅山(埼 玉県)を開いた跡、寛政四年(1792)木曽に来て御嶽に登頂、王滝口登山道を開いた。翌年にも御嶽に登山するとと もに、江戸を中心にして修験者の霞支配の方法を取り入れた御嶽講の組織化をすすめた。寛政六年(1794)には夢告 により弟子をつれて越後に赴き、地元の行者泰賢とともに八海山を中興開山、屏風道を開いた。八海山はこれ以降、御嶽 行者が相次いで訪れ、この地方の新しい山岳霊場として脚光を浴びるようになった。普寛は翌年、武尊山(群馬県)をも 開山し、享和元年(1801)に武州本庄宿で没した。死後、普寛霊神と仰がれ、一般には御嶽の開祖、御嶽教の開祖と 仰がれる。 修験道辞典 慶応大学教授 宮家 準編 東京堂出版より 平成十二年一月 元旦 宗教法人 御嶽普寛神社之建 監修 大滝村教育委員会」 住 所:埼玉県秩父市大滝944 電話番号: ひとこと:いわゆる神仏習合の神社ですね。 神社庁には属していないようです。 この神社のすぐそばに、万じゅが淵という深い河があるんですね。 私の興味はこっち(笑) 万じゅはとても美しい娘で、ある時から、綺麗な男が通うようになります。 ……よくある話しですよね(^^ゞ 多くの場合、娘はたやすく男の言いなりになり、あっという間にとり殺されちゃうんですが、万じゅは違う。 「いやですよ!なんで知らない男に身を任せなくちゃいけないんです!」 ときっぱり拒否します。 ここまでは良かった。 しかし、男があんまりしつこいもので、 「あ~しつこい。どこの誰なのかしら」 と、男の正体を確かめようとしちゃうんですね。 それで、糸を通した針を袖に縫い付け、男の後をつけます。 そしてこの万じゅが淵あたりまでやってきたとき……万じゅは忽然と姿を消します。 後日、万じゅの家族のもとに、どこからともなく声が聞こえてきました。 「万じゅはもらった。二度と返すことはできないが、そのかわり、椀でも膳でも必要なときに必要なだけ貸そう」 そしてその言葉通り、家族が願えばどんなものでも借り受けることができました。 しかしある時、故意にかうっかりか、借りたものを返すのを忘れてしまい、その後二度と貸してはくれなくなったそうで す。 ……どうですか(笑) 淵の主伝説と、苧環伝説と、椀貸し淵伝説が、見事に(?)マッチングされているのに気づくでしょう。 どこでどうなったやら(^^ゞ 万じゅのキッパリした態度は、修験道の影響があったのかも。 だとすれば、この伝説は、普寛行者以降のものである可能性も捨てきれません。