祭 神:猿田比古命 (配祀)天照皇大神 (合祀)倭姫命 説 明:ご由緒を引用します。 「1)崇神天皇7年(前91年)秋(9月7日)の御代に勅命をもって、伊香我色雄命 に猿田彦命を鎮座せしめられた。伊香我色雄命の子、大水口宿禰の子孫(80余代) 相継いで神主となり明治年代にいたる。 2)垂仁天皇御代に皇女倭姫命がご案内役となって、天照皇大神の鎮座の地を求め て、大和の国から忍山に御遷幸になり、半年御鎮座された、その跡をかしこんで 大神を奉祀した。 3)景行天皇御代に王子日本武尊は東征に際し忍山神社に立ち寄られ、神主忍山宿 禰の長女、弟橘媛を妃とされ、征途につかれた。媛が御東征に従われ、相模の海 が海神の怒りで荒れたため、入水してその怒りを鎮められたことは、美談として 伝承されている。 4)明治天皇41年、村社能牟良神社ほか近隣の20社を合祀し、大正天皇6年10月7 日鎮座、2000年祭が執り行われ、現在にいたっている。 傘鉾(昭和27年亀山市無形文化財指定) 忍山神社合祀祭神の一座である須佐之男命の荒魂をなぐさめるため、古くから行 われた神事の一つである。毎年10月14日の大祭には傘鉾の巡行が行われる」 角川書店『日本の伝説32 伊勢志摩の伝説』を引用します。 「大椋が残る野村の一里塚あたりで、右手国道越しに見える田の中の林が忍山神社。 倭姫命が伊勢神宮の神体を奉持して六ヶ月間とどまった忍山の宮はその近辺だろ うとする説がある。 この忍山神社の奉祀者として忍山宿禰が現れるが、その姉娘が日本武尊の妃とな って東国へ従い、走水で海に身を投じた弟橘媛である。 日本武尊は、東征の旅に出る前に伊勢神宮に参拝して、このあたりを通過したわ けだが、帰途も伊吹山から伊勢路へはいって、亀山の北方で亡くなっている」」 住 所:三重県亀山市野村町4-4-65 電話番号: ひとこと:『日本の伝説』によれば、この神社は倭姫と弟橘媛に非常に関係が深いようです。 日本書紀を見ると、日本武尊は東征に際して倭姫を訪ねて草薙の剣を賜っていま すし、古事記では草薙の剣と火打石の入った袋をもらっています。 どちらも日本武尊の命を救ったものですが、彼を助けた最大は、弟橘媛ですよね。 走水で失言をして海神の怒りを買い、危うく船が難破難しそうになったとき、人 身御供となって船を助けたのがこの女性ですから。 忍山神社と倭姫の関係が深いなら、弟橘という「守り刀」を武に授けたのも、倭 媛だったのかもしれません。 なんにせよ、倭姫と弟橘媛は、ともに「苦しみを背負って漂流する女性」です。 その二人に関係の深いこの神社が、気になって仕方ありません。