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讃岐神社

sanuki




  祭  神:若蔵稲之命 讃岐伊能城命 若宇迦売命
  説  明:境内案内板を転載します。
      「当社の祭神は『三代実録』元慶七年の条に正六位上散吉大建命、散吉伊能城神
       と見えるが、当社伝では大国魂神、倉稲魂神、大物主神を奉祀するという。別
       に広瀬大明神と称するのは大物忌神と同神の広瀬坐和加宇加之売神社の分霊を
       勧請して祀つたことに因る。慶長十九年(1611)正月火災後の現本殿は檜
       皮葺(現在鉄板葺)三間社で、その前方の切妻造り本瓦葺の拝殿には掲額が多
       く、なかでも三十六歌仙扁額六面(別保管)は、元禄十六年六月(1688)
       海北友賢筆の貼絵を付した貴重な歌仙絵である。」
      「讃岐神社と竹取翁
       かぐや姫
      『今は昔、竹取の翁といふものありけり・・・』で始まる『竹取物語』(平安時
       代、作者不詳)に登場する竹取翁の出身部族である讃岐氏は、持統−文武朝廷
       に竹細工を献上するため、讃岐国(香川県)の氏族齋部氏が大和国広瀬郡散吉
       郷に移り住んだものとしている。翁の讃岐姓は、『和名抄』の大和国広瀬郡に
       散吉郷があり『大和志』では、『散吉郷廃存済恩寺村』として、現在の北葛城
       郡広陵町大字三吉の斉音寺集落付近に比定している。又この付近に『藪ノ下』、
      『藪口』、『竹ケ原』という地名があり、真竹孟宗竹等の竹林が多数残っている。
       三吉の北部には讃岐神社が鎮座し、『延喜式』神名上、広瀬郡の讃岐神社がこ
       れに当るとされる。
      『竹取物語』の舞台が大和国であったことは、かぐや姫の求婚者であった五人の
       貴公子の名が、持統朝末期から文武朝初期にかけて朝廷の中心にいた五人の実
       在の人物に比定されることにも符合する。」
  住  所:奈良県北葛城郡広陵町三吉328
  電話番号:
  ひとこと:ご祭神については、拝殿の奥、本殿の左側の看板を転載しました。
       案内板の説明とちと違うんですよね(^^ゞ

       ただ、「三吉」「散吉」「讃岐」は同じものを表しているらしいですね。

       さて、ここ、広陵町が、「かぐや姫の郷」をキャッチフレーズにしているのは、
       以前から気付いていたのですが、その根拠が、ここ、讃岐神社にあるというの
       は、知りませんでした。

       ところで、

     「『竹取物語』の舞台が大和国であったことは、かぐや姫の求婚者であった五人の
       貴公子の名が、持統朝末期から文武朝初期にかけて朝廷の中心にいた五人の実
       在の人物に比定されることにも符合する。」

       という文章がありますが、かぐや姫に登場する五人の貴公子の名は、角川ソフ
       ィア文庫「竹取物語」によれば、ざっと以下の通り。

       石作の皇子・車持の皇子・左大臣阿倍のみむらじ・大納言大伴の御行・中納言
       石上のまろたり。

       三一書房 梅沢恵美子著「竹取物語と中将姫伝説」によりますと、
       このうち、左大臣阿倍のみむらじと、大納言大伴の御行、中納言石上まろたり
       は実在の人物の名前そのままだとされてます。
       そして、石作の皇子とは、丹比嶋真人のこと。
       車持の皇子とは、なんと!あの藤原不比等公のことだと言われてるんだそうで、
       あの立身出世の怪人が、かぐや姫にこけにされてるなんて、んま〜、ちょっと
       驚きです。

       では、この五人のフラレ方を見てみましょう(笑)

       竹取物語は有名ですから、ほとんどの方があらすじをご存知だと思いますが、
       一応ここで繰り返します。

       竹取の翁と呼ばれる老人がいた。
       本名は、さかきのみやつこ(前述の「竹取物語と中将姫伝説」では、さぬきの
       みやつこが本名だとされていました。多分、いろんな伝承があるのでしょう)。

       ある日、翁が竹を切ると小さな小さな女の子が座っていた。
       あまりに小さいので、籠に入れて育てるが、3ヶ月もするうちにみるみる成長
       し、みるみるうちに求婚者が列をなした。

       が、かぐや姫は、誰も気に入らない。
       特に熱心な好色者、五人の貴公子には難問を出し、それが叶わないのを良い事
       に、体よく袖にしてしまった。
       が、とうとう帝がかぐや姫の輿入れを希望したため、さすがにかぐや姫もテン
       とは撥ね付けることができず、文のやりとりが始まった。

       が、ちょうどその頃、天からの迎えがやってきて、かぐや姫を月の世界へ取り
       戻そうとした。
       帝の軍は、天の使者を討とうとするが叶わず、使者はかぐや姫に「早く羽衣を
       身に着けなさい」と迫る。
       また、下界にいた時の穢れを落とすために、薬を飲むようにと命じる。

       かぐや姫は、「羽衣を身につけたら人間でいたときの心を失うと聞きます」と、
       薬を一口だけ舐めて、残りは手紙を添えて帝へと贈った。
       薬は人間には不死の薬になるのだ。
       しかし、帝は、「かぐや姫がいなくては不死になってもしかたがない」と、そ
       の薬を、「天に一番近い山」=富士山の頂上で焼かせた。

       とまぁ、そういうお話です。

       五人の貴公子のフラレ方というのは、ですからつまり、難問の内容と貴公子達
       の失敗の仕方ということになるわけです。

       まず、石作の皇子への問題は、「仏の御鉢を持ってくる」でした。
       石作の皇子は、「計画力のある人」だったので、「そんなもん、どこ探したか
       て見つかるかい(皇子は関西の人なので、関西弁なわけです)」と、さっさと
       見切りをつけ、大和国十市郡にある山寺で古い石鉢を見つけると、造花などを
       つけて立派に粉飾し、
      「これぞ仏の御鉢でございます。いや〜苦労して血涙が出ましたよ〜」
       という歌をつけてかぐや姫に贈りましたが、かぐや姫は
      「仏の御鉢って、光ってるのよ!これなによ、光ってないじゃない!」
       と返歌をし、内心、「一人撃退〜」と喜んでいると、諦めの悪い石作の皇子は、
       鉢を放り捨てたものの、まだしつこく、
      「いや〜、あなたがあんまり光り輝くので、くすんで見えちゃうんですよ〜。そ
       のうち光り出すかもしらんですよ?」
       などという歌をしょうこりもなく送ってきたので、かぐや姫は呆れてしまいま
       した・・・。
       このことから、厚かましいことを「恥(鉢)を捨てる」と言うようになりまし
       た。

       次に車持の皇子には、蓬莱の玉の枝を所望されました。
       車持の皇子は、「謀略のある人」だったので、朝廷には湯治に行くといい訳し
       て休暇を取り、かぐや姫には「これから蓬莱へ行ってきます」と海へ出るふり
       をしますが、すぐに戻ってきて小屋に籠もります。
       つまりそこに金銀細工師を集めて、偽蓬莱の玉の枝を作らせたわけですね。
       それで、その細工が出来上がると、かぐや姫に
      「苦労したんですよ〜。でも、この玉の枝を取るまでは絶対帰らない!って決め
       て頑張りました!だから、あなたのことも手に入れるまでは絶対帰らないんだ
       よ!」
       などと、女心を全くくすぐらない手紙と共に贈りました。
       かぐや姫が、
      「困ったわ〜。断る口実に難問つきつけたのにぃ。このわからんちんめ!」
       とぶつくさ言ってると、玄関が騒がしくなります。
       玉の枝を作った細工師達が、
      「あの〜まだ工賃をもらってないんですけど」
       と直訴に来たんですね。
       かぐや姫は、にんまり。
      「このうそつき!」
       と、車持の皇子もおっぱらってしまいました。
       車持の皇子は、恥ずかしくなって、山に籠もってしまいました。
       以来、恥をかいて引き篭もることを「たまさかる」と言うようになりました。

       次に左大臣阿倍のみむらじは、火鼠の皮衣を取ってこなくてはなりません。
       阿倍のみむらじは「財産が豊か」だったので、唐国の王様に、
      「なんぼでもお金出っさかい、火鼠の皮衣を手に入れてんか」
       と手紙を送りました。
       で、高い代価を払わされて手に入れた火鼠の皮衣に、
      「この皮衣は、ボクチンの恋の炎でも燃えないんだぜ!」
       という歌と一緒に贈りましたが、かぐや姫に、
      「んじゃ、一回燃やしてみましょうか」
       と言われちゃいます。
       しかし、自信たっぷりな阿倍のみむらじ。
      「OKだじぇ!」
       と火をつけると、あっという間に燃え上がり、灰になってしまいました。
       以来、まぬけで成功しないことを「あへ(阿倍)なし」と言うようになりまし
       た。

       そして、大納言大伴の御行への難問は龍の首の珠。
       大伴の御行は、家来達を集め、
      「龍の珠を取るまでは戻ってくるな」
       と、食料や衣類などを授けました。
       家来達は、「取るまでは戻ってくるなってことは、戻らなきゃいいんだよな。
       だって、龍の珠なんか取れっこね〜もん」と、てんでバラバラに逃げてしまい
       ました。
       御行は、御殿を建て、家来が龍の珠を持って帰ってくるのを待っていましたが、
       いつまでたってもだ〜れも、戻ってこないので、自ら海に出て・・・遭難して
       しまいました。
      「龍は雷の使いだもの。龍に歯向かおうとしたから、こんな嵐に遭うのだわ、う
       ん、きっとそうよ」
       御行はそう気付き、
      「龍神様、もう絶対、あなたさまに刃を向けるような真似はしません、お許しく
       ださい」
       と祈ったところ、嵐はやみました。
       這う這うの体で自宅に戻った御行は、
      「かぐや姫に殺されるとこだったわ。もう二度とあの家の前は通らないんだから!」
       と決心しました。
       ところで、御行は、目を真っ赤にして帰ってきたわけですが、それを見た人達
       が、
      「李みたいな目で帰ってこられたが、あんな李では、ああ食べがたい」
       と言ったため、以後、思うようにならないことを「あなたへがた」と言うよう
       になりました。

       最後の中納言石上まろたりですが、彼は燕の子安貝を取ってくることになりま
       した。
       これは、燕が子を産むときにひり出すものだ、といわれていたわけですが、誰
       も成功しません。
       くらつ麻呂という男が、
      「なんでも、燕は尾を差し上げて、七度回った後に子を産むらしいですよ」
       と、言ったので、その機会を狙って、家来達に巣を探らせるのだけれども、ど
       うも見つからない。
      「え〜い、私がやるわ!」
       と、籠に乗り、滑車の要領で引っ張り上げさせ、巣を探ると、平たいものがあ
       った!!・・・はいいけど、力んだ拍子に地面に落下。
       しかも、子安貝と思ったのは燕のフンでした、というオチ。
       これが元で、石上まろたりは病になり、かぐや姫から、
      「随分お見限りじゃない?貝が見つからなかったって本当?」
       という、ほんまにこれがお見舞いかい?という見舞い文をもらうのですが、そ
       の甲斐もなく、結局そのまま帰らぬ人となってしまいました。
       このことから、思うようにならないことを、「甲斐(貝)なし」と言うんだと
       か。

       まぁ、どの男も、絶対恋人にしたくないタイプではありますが(笑)
       初めから、「そんなもん見つかるかい!」と諦めにかかったのが、石作の皇子
       と、車持の皇子ですね。
       しかも、石作の皇子は失敗した後も、まだしつこく言い寄ろうとする厚顔さ。
       車持の皇子は、謀略家のくせに、金を支払わなかったことで計略が露見すると
       いう間抜けさが、なんとも・・・。
       藤原不比等公は吝嗇さんだったんでしょうか。

       反対に金でカタをつけようとしたのが、阿倍のみむらじ。
       彼は、自分の成功を疑いませんでした。まぁ、金でなんでも叶うと思うタイプ
       の人間だったんでしょうね。

       そして、まだ自分で努力したのが残りの二人。
       が、大伴の御行は、失敗するや、逆ギレ。
       ここらへんが、なんともまぁ、旦那にしたら大変そうな感じがします。
       で、一番まともに思える、石上まろたりは、要領が悪くて、クソ真面目。
       悪い人じゃないとは思うけど、うだつもあがらないという雰囲気。
       面白みもなさそうですしねぇ。

       まぁ、そんなわけで、この五人の貴公子は、竹取物語の作者や、語り伝えた人
       達に、「旦那にしたくないタイプ〜」と思われていたのでしょう(笑)

       それでは、この物語の作者・語り伝えた人達とは?

       それははっきりしませんが、やはり「竹取」と関係の深い人だったのではない
       か、と思います。

       注目したいのが、かぐや姫は籠に入れられて育ったというところ。

       籠・・・と言われて思い出すのが、山幸彦が、なくした釣り針を探すために竜
       宮へ赴く時に乗った、「目なし勝間の小船」です。
       これは、隙間のない籠で出来た船という意味になるらしいのですが、つまり、
       竹を編んで造った船なんでしょうね。
       これを造ったのは、塩土翁神です。
       智恵とサポートの神様ですね。海の神様というイメージもあります。
       海の神と竹・・・というのはちょっと意外な気もしますが、海の民が陸に上っ
       て、竹取の技を身に着けたのかもしれません。

       つまり、「南洋系の人々」だったんじゃないかなぁ・・・となんとな〜く思っ
       てるんですけどね。まぁ、想像です。

       そして面白いのが、最後にかぐや姫が、「羽衣を羽織ると人間だった時の記憶
       がなくなっちゃう」と言っているところでしょう。
       
       羽衣天女が、長年連れ添った亭主や子供を見捨てて、あっさり天に帰ってしま
       うという話しに(もちろん、これもいろんな異伝があって、子供だけは連れて
       帰ったり、亭主も天に呼んだりするという筋書きの話しもあります)、
      「そんなに割り切れるか?」
       と疑問に思ってたのですが、これで謎が解けました。
       記憶をなくしちゃうんですね。

       もともとは、亭主が羽衣を盗んだのが悪いんだから、文句言えませんよね。

       もしかしたら、求婚した5人の貴公子は、
      「羽衣を盗んだ男」とどこか重なっていたのかもしれません。
       ・・・そりゃぁ、フラレて当然ですよね。

       しかし・・・。
       それにしても、この5人の貴公子、なんでそこまで嫌われちゃったんでしょう
       ね(笑)
       こんな後々まで語り継がれちゃってるなんて、さすがの不比等公も、想像もし
       なかったでしょうね。

       続日本紀では、「思慮深く、聡明で」なんて褒めちぎられてるわけですが・・・。
       民間の感想は、ちょっと違ったようです。  

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