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聖母宮

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  祭  神:氣長足姫尊 足仲彦尊 誉田別尊 住吉大神 
       配祀 天照大神 玉垂神 烏賊津連 真根子連
  説  明:境内案内板を引用します。
      「『壱岐名勝図誌』によると、仲哀天皇の九年、神功皇后は肥前唐津の神集島で三韓出兵の祈願し、
       土器崎より壱岐に向けて3270艘の軍船を出発させた。
       この時船が進むのにつごうの良い東風が吹きはじめた土器崎の地を風本と名づけ、東風が吹きゆ
       く壱岐の方向を風早と名づけた。
       壱岐すなわち風早の島についた皇后は風まちをして対馬の鰐津に向けて出帆した地を風本と名づ
       け、三韓からの帰りに再び立ち寄られ、出兵の勝利を祝い、勝本と改められたという。
       皇后は出兵の往来にさいし、行宮を勝本に建てられたが、御殿はその後放置されてしまった。し
       かし毎夜海中から光る物があたってくるという出来事が続いたので、郷人は鏡を御殿に納めて、
       神功皇后を神としてまつったのがこの神社であると伝う。
       また一説には、異敵の首101500を持ち帰った皇后は、風本の浜に穴を掘って埋められ、九
       町八反の石の築地を一夜で築き、その上に宝殿をつくり、聖母の社を建てられたとある。
  住  所:長崎県壱岐市勝本町勝本浦554-2
  電話番号:
  ひとこと:後醍醐天皇に仕えた佐々木氏を祖とする吉野家が代々宮司を務めていて、現宮司も苗字は違うけ
       れど吉野家の流れだそうです。
       
       境内で掲示板の御由緒を写していたら、宮司さんがいらっしゃって、いろいろとお話を聞かせて
       くださいました。
       ここ聖母宮はもともと中津神社と呼ばれていたとか。その後西暦717年に神功皇后を日本で最初
       に祀り、聖母宮と改称したそうです。
       香椎宮との関連は深いですが、香椎宮より10年ほど早い。『聖母宮縁起』など100以上の古文書
       もあるとか。
       
       なにしろ神功皇后とのゆかりは深いですね。
       敵の首を埋めた上に建てられたとする説は、かなり珍しい気もしますが、どのあたりに埋めたと
       いうような伝説は残ってないそうです。
       
       本殿には三つの扉があり、真ん中には神功皇后・仲哀天皇・応神天皇・住吉大神。
       相殿の右側が天照大神。
       そして、相殿左には、玉垂神、烏賊津連、真根子連が祀られています。
       
       面白いのは、お祭りの時でも相殿左の扉は開かれないということ。烏賊津連は吉野氏の祖神にあ
       たる神だというのに、なぜなんでしょう。
       実際、案内板には、相殿左に祀られる神様の名前は出ていませんでした。たまたま宮司さんが教
       えてくださらなかったら、私はそれを知らなかったでしょう。
       
       いろいろ想像をかき立てられる話しですね。

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