祭 神:天比理乃咩命 説 明:案内板から転載します。 「当社は延喜式神名帳に『后神天比理乃咩命神社 元名洲神社』と記され、天太玉命の后神を 祀る式内大社で、元の名を洲神と称した 当社は宝暦三(1753)年の『洲崎大明神由緒旧記』によると、神武天皇の御宇、天富命が御 祖母神天比理乃咩命の奉じされた御神鏡を会宝として、洲江の良洲山に祀られたことに始ま る。 鎌倉時代の治承四(1180)年、安房に逃れた源頼朝が、戦勝と源氏再興を祈念して神田を寄 進、後妻政子の安産を祈願している。室町時代には江戸城を築いた太田道灌が、江戸の鎮守 として明神の分霊を勧請したと伝えている。南総里見氏も当社を尊崇して、七代義弘が神領 五石を寄進し、江戸幕府もこれに倣って朱印状を下した。 幕末の文化九(1812)年には、房総沿岸警備した老中松平定信は『安房国一之宮洲崎神社』 の扁額を奉納している。 神位は平安時代に正一位、鎌倉時代に元寇の戦勝祈願の功により勲二等に叙せられ、明治六 (1873)年県社に列せられた。 往時別当寺は養老寺など五ヶ寺を数えた。洲崎明神は古来伝承されている数々のあらたかな 霊験から、安産・航海安全・豊漁・五穀豊穣や厄除開運の守護神として信仰が篤く、現在に 及んでいる。」 住 所:千葉県館山市州崎1344 電話番号: ひとこと:長い階段を登らねばなりませんが、拝殿前からが海が一望できます。 御神石からは海のうねりが見え、晴れた日には富士山が見えるそうですが、あいにくの大 雨でした。 御神石とはなんなのか、説明がありませんでしたが、天太玉命とは関係なく、役行者が置い たと伝わってるようですね。 打ち寄せる波が、いかにも「遠くからやってくる」風情。 江戸湾の入り口に位置するこの場所が、忌部氏たちを迎えたのだと想像すると、ワクワクし ます。 次は晴れた日に来たい……。