祭 神:武甕槌命 天児屋根命 経津主命 万幡比売命 説 明:そばにある五百野皇女塚の説明板から転載します。 「日本書紀によりますと、五百野皇女は第十二代景行天皇の第七皇女で日本武尊の姉にあたり、 名を久須姫と言いました。 皇女は、斎王として伊勢に遣わされ、斎王宮で神宮の祭祀に励みました。 伝承によれば、皇女が任を終えて都への帰途、病におかされこの地で静養しましたが、つい に帰らぬ人となりました。 五百野の地名も皇女の名に由来するものです。 背後の高台にある高宮神社には『五百野姫』として皇女が祀られています。 古くはこの地域に神社の御厨があり、下を流れる長野川で捕られた魚を神宮に献じた話も伝 えられており、神宮との関係が深かったことがうかがわれます」 住 所:三重県津市美里町五百野873 電話番号: ひとこと:日本武尊の姉皇女が斎宮になったという話は、思いっきり見落としていましたが……。 「二十年春二月四日、五百野皇女を遣わして、天照大神を祭らせた」 と、ちゃんと書かれていました。 でも、景行天皇四十年十月七日、伊勢神宮に立ち寄ったときの斎宮は、倭姫なんですよね(^^ゞ 時系列がどうなってるのか、ちょっとよくわかりませんが。 また、五百野姫が春日四神と深い関わりを持っていた理由も、日本書紀からは見えません。 春日神のうちタケミカヅチとフツヌシは、関東からやってきたとされますから、この辺りを経 由したでしょうし、それをお迎えしたとか、そんな話でもあるのかも。 なんにせよ、五百野皇女を祀る神社は、神社巡りを初めて20年目にして初めてでした(^_^)/