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竹野神社

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久美浜にある斎宮神社

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大蛇が棲んでいた依遅ケ峯




  祭  神:天照大神
  説  明:境内案内板を引用します
      「竹野神社は、『延喜式』の神名帳で大社として記される。
       祭神は天照大神であり、本殿と並んで摂社斎宮神社があり、祭神として日子坐王命、建豊波豆
       良和気命、竹野媛命を祀る。竹野媛は丹波大県主由碁理の娘で、第九代開化天皇の妃となる。
      『古事記』『日本書紀』にも記され、竹野神社は竹野媛が年老いて天照大神を祀ることに始まる
       と伝えられる。
       斎宮神社には、第三十一代用明天皇の皇子である、麻呂子親王も祀られ、鬼賊退治と丹後七仏
       薬師の伝承がある。この伝承は『等楽寺縁起』『斎明神縁起』として絵巻に描かれ、京都府登
       録文化財となっている。
       現在の社殿は文政十三年(1830年)に再建されたものである。本殿は規模の大きな一間社
       流造で賑やかな装飾を有している。中門は神社の門としては珍しい向唐門の派手な印象を与え
       る建物で、いずれも京都府登録文化財として指定されている。
       この他に竹野区に伝えられ、竹野神社の祭礼に演じられる郷土芸能『竹野テンキテンキ』は、
       子供六人かあなる素朴なものであるが、風流囃子物の古い形をのこす芸能で、京都府登録文化
       財に指定されるなど、優れた文化財を伝えている」
  住  所:京都府京丹後市丹後町宮249
  電話番号:
  ひとこと:この神社にはさまざまな伝承が伝わっているみたいです。
       一つが、麻呂子親王による鬼退治。
       
       でも私が気になったのは、淡交社から刊行されている福田晃さんと真下厚さんの『京都の伝
       説 丹後を歩く』にある伝説なんです。
       
       ちょっと長いですが、そのまま引用しますね。
      「昔むかし、何千年も前のこと、依遅ケ尾に大蛇が棲んでいた。矢畑の村の人々は時々この大
       蛇を見ることがあった。
       この大蛇が、ある日、斎神社の神姫を見て、一目惚れをしてしまった。それからは、寝ても
       さめてもその神姫のことを思って、食事もろくろくとれぬほどになった。大蛇は牧の谷まで
       下りてきたが、斎神社の神威に打たれてどうしても神社の森に入ることができない。
       斎神社の神はその大蛇の心情をかわいそうに思って、雪が二メートルも積もったある日、大
       蛇に『二百十日の巳の刻に斎神社の松縄手にあるお旅所へ行け。そうすればお前の恋をかな
       えてやろう』と告げた。
       やがて、依遅ケ尾にも春が来て雪が解け、夏が過ぎて待望の秋が来た。不思議なことに、斎
       神社の神姫も夢のなかで、『二百十日の巳の刻、とてもよいことがあるので、縄手のお旅所
       へ行くように』と天照大神のお告げがあった。
       二百十日になり、神姫は斎神社のお旅所にお参りして祝詞をあげていた。午後一時ごろにな
       ると、一天にわかにかき曇り、バケツから移したような大雨が竹野川に降ってきた。みるみ
       るうちに田も畑も海のようになってしまったが、お旅所だけは少し小高いところにあったの
       で、水のなかにぽっかいと浮いたようになった。神姫は宮へ帰ることができず、何度も祝詞
       をあげていた。
       午後二時ごろになると、依遅ケ尾から炭のような真黒い雲が下りてきた。この雲に乗って、
       依遅ケ尾の大蛇が神姫に逢いに来たのだった。しかし、何とかして姫に近寄ろうとしたけれ
       ども、斎神社の威光に打たれ、もんどりうって立岩の沖の海に落ちた。その嵐のなかでキラ
       リと光った二つの目は姫を吸いつけるようににらみ、竹野の人も間人の人も、海を見ていた
       人はみな、この大蛇の目を見ることができた。この嵐のためについに大蛇の恋は遂げられず
       に終わった。
       それから何千年もの間、大蛇は二百十日の午後二時ごろ、依遅ケ尾から炭のような黒雲に乗
       って、後の立岩の沖へ出てくる。大蛇はだいぶん年をとったのか、二百十日を間違えて二、
       三日早く来たり、四、五日遅れて来たりするようになった」
       
       ね?変な話でしょう?
       大蛇が人間の娘に懸想する話は山ほどありますが、自分のものにすることを失敗した上に、
       しつこくしつこく通ってくるってなんなんだろう。
       
       また、斎神社の祭神である天照大神は、大蛇をいったいどうしたかったんでしょう?
       同情して恋を叶えてやろうとしてるわりには、「威光」を弱めないのはなんなんでしょう。
       
       また、天橋立.comによれば、竹野神社の神姫は久美浜の日下部家の娘から選ばれていたとか。
       久美浜町市場の日下部家に女の子が生まれると、まれに白羽の矢が立つ。
       その娘は「神の子」とされ、竹野神社の斎宮となる……というわけですね。
       
       通常、白羽の矢が立つのは、「生贄」に、です。
       
       神姫は、つまり神の嫁ですよ。
       とすれば、斎神社の神は、自分の虜を大蛇に譲ろうとして、直前に翻意したのだとも読める。
       
       とすれば勢力争いでもあったのかなぁ?
       
       いろいろと想像力をかきたてられる話しなのです。
       
       そしてもう一つ。
       丹後ではありませんが、そう遠くない丹波の竹野姫といえば、垂仁天皇を思い出します。
       寵愛した狭穂姫が炎の中で亡くなった後、丹波の五姫を妃として迎えるのですが、
      「末娘の竹野姫だけは不器量だったので、里に返した」
       とあります。
       
      「竹野姫」が、竹野神社の神姫を指すのであれば、里に返した理由は、「神の嫁とするため」
       ではないでしょうか。
       
       私、垂仁天皇が大好きなもので、瓊瓊杵尊と同じようなことをしたと考えたくなかったんで
       すよね(^^ゞ
      「神の嫁だから返した」んなら、納得です。

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