祭 神:活目入彦五十狭芽命(垂仁天皇) 和気清麻呂 説 明:案内板から転載します。 「天正十三年(1585)の『一打玉城神社護法神社扜神宮寺巻』におれば、市田は垂仁天皇の宮城(珠 城宮)のあった地で、天皇崩御の後、その霊を山代大筒城真若王(開化天皇王子日子坐王の子)が この地に祀ったのが当社のはじまりとし、珠城宮の所在したことにより、珠城神社と称したという。 また延暦十八年(799)、和気清麻呂の死去にあたり、藤原葛野麿が勅使となって護法神社として、 珠城神社に並べて神殿を造った。 その後、僧行賀が神宮司を経て護王寺(本尊薬師仏)としたという。当社ならびに護王寺は治承四 年(1180)兵火により焼失したが、文治元年(1185)源頼朝によって再建された。しかし、天正元 年(1573)槙島の戦いで再び焼失したという。江戸時代には珠城神社の祭神は雙栗神社に預けられ ていたようで、市田村は享保四年(1719)神輿を造営し、神事に参画した記録が残っている。明治 十人絵(1879)正式に合祀され、同十六年の『久世郡神社明細帳』では雙栗神の祭神にその名がみ える。昭和四十二年(1967)十月、当社が再建され遷座した。 平成二十八年九月 久御山町郷土史会」 住 所:京都府久世郡久御山町市田新珠城146 電話番号: ひとこと:垂仁天皇の纒向珠城宮は、通常桜井市の纏向にあると考えられています。 でも、実際はどこかわからないですよね(^^ゞ おみくじの筒が置いてあるので振ると、鉄の棒が出て来ます。 前におみくじの吉凶表があるので、それで判断。 無料のおみくじとは珍しいです。 通りがかりに見つけて立ち寄ったのですが、ここのところちょっと垂仁天皇について考えていたので、 ご縁がちょっと嬉しいです。