祭 神:木梨軽皇子 説 明:境内案内板を引用します 「木梨軽皇子は第十九代允恭天皇の第一皇子であらせられ、皇位を継承すべきであったが、群 臣が背き、御弟の穴穂皇子を擁立せんとした。そこで太子が挙兵の準備をされたが、事前に あらわれ、伊代の道後へ遷され給う。途中暴風にあい、御船は吹き流されて、本町浜田の東 宮石に御漂着。浦人畏み清浄森厳な統治に宮居を建立し、そこへ太子を遷し奉り、ここに幾 年月を過ごされた後、悲運の障害を閉じられた。 そこで従臣・里人が相寄り、東宮山の上に鄭重に葬り奉り、東宮御陵と申し上げ、なおその 側に御霊を奉斎する一社を建立して東宮神社と尊称崇び奉ることにした。 故にここは、我が国歴史古記上特別の由緒ある陵社にして、明治二十八年御陵墓参考地に指 定される 川之江市」 住 所:愛媛県四国中央市妻鳥町2256‐2 電話番号: ひとこと:軽皇子が漂着したという東宮石には遺跡があり、師楽式土器が出土しているといいますから、 なにかしら高貴な人物がそこに生活していても不思議はありません。 木梨軽皇子は、人望篤く、聡い人柄ながらも、同母妹(古事記では衣通姫、日本書紀では軽 郎女)との不倫の恋により、讃岐へ配流された悲運の皇子。 後を追ってきた妹とともに亡くなったと伝えられますが、彼らの遺体は誰も観なかった…… と、含みのある終わり方をさせています。 今昔物語の『妹背島』には、土佐のある島に兄と妹が罪によって流され、二人はその島の始 祖となったとあります。 その兄と妹が軽皇子とその妹だったら……と、私はいつも想像してしまうのですが。 讃岐と土佐なら、そう遠くはありませんから。 なんにせよ、讃岐に伝わる話では、皇子はこの地で大切に遇されたことになっていますね。 ホッとする話です(^◇^)