祭 神:高田媛命 吉備津彦命 楽々森彦命 吉備武彦命 遣霊彦命 天穗日命 大名持命 太玉命 説 明:境内案内板を転載します。 「二宮鼓神社由緒沿革(神紋 舞鶴) 当社は人皇第十代崇神天皇の御宇四道将軍大吉備津彦命御功臣遣霊彦、此の 県主楽々森彦命同御女にして、将軍御后高田姫命を奉祭せる神徳赫々たる名 社であります。 主神遣霊彦命は大吉備津彦命の脇将で功に依り大井庄内五ケ所を賜わった。 後代、神を崇め社を建て五神を合わせて祀った。延喜の制で小社に列し、祈 年の国幣にあずかる。往時は五社殿あって皷五社大明神と称した。寛永間、 領主下利当社領二石を寄進し祈願所となす。千原寛源勝延祖先の後を襲い木 下藩主の命を受け皷神社神主となり、明治五年社格制定の際、当国二宮の称 号と式内十八社中なるに村社に加えられしこと遺憾に思い、単身上京し縣社 昇格に夙夜奔走し、同十四年十月四日縣社に列格さる。爾後同四十一年九月、 庄田天神社、楽々森神社外小社を合祀し、社殿を改築、境内整備等壮麗なる 様相となる。昭和二年神饌所を新築し、縣社昇格五十年奉祝祭を盛大に執行 す。昭和三十四年四月本殿屋根葺替正遷座奉祝祭齋行、同四十九年五月、拝 殿屋根補修、神輿二基彩式、壱千年祭執行、同六十二年五月拝殿瓦葺替、随 神門、荒神社拝殿屋根葺替、境内地、神池を整備し、皷神社再建六百五十年 祭を盛大に奉祝せり。 昭和三十四年より宮山六町面に桧を祈念植樹。同五十六年完了。氏子奉仕に 依り間伐枝打続行中。昭和六十二年七月神社本殿神社振興対策(第五期)の 指定を受け、五十二万五千円の補助を交付さる。懸案の大型駐車場周壁も事 竟へ。此の度五ヵ年計画に依り平成七年修築奉賛会を結成して本殿屋根銅板 葺替、随神彫刻、東社務所及び輿庫の新築。拝殿大床合天井張替、稲荷神社 新築据付、境内地整備等念願の総ての工事完了。私達、神恩報謝の誠を捧げ、 神徳益々輝き神社護持と敬神の真心を後世に残し、神社の弥栄と氏子・崇敬 者御一同様の家運の御隆昌を祝祷申し上げる次第であります。拍手。 二宮 神社宮司 千原 謹書」 「皷神社は備中二ノ宮で、主神は吉備津彦命の后・高田姫。 本殿に向って左手奥に宝塔(国指定重要文化財)がありますが、この塔は鎌 倉時代の特徴を伝える南北朝期の名作のひとつとされています。」 住 所:岡山県岡山市上高田3628 電話番号: ひとこと:この社名である、「皷(つづみ)」の由来は、ご由緒には表れません。 そもそも、「鼓」という字の部首は、「支」ではなく、「皮」だったようで す。 三省堂の、「漢辞海」で、「鼓」という文字のなりたちを見ますと、 「皮で外郭をおおった楽器。春分の音で、万物が皮甲を外郭として地表に出る ので、『鼓』という。云々」 と説明されています。 鼓という漢字には、「春」という意味が篭められているんですね。 そして、私は「つづみ」という音には、「つつ」・・・つまり、「星」の意 味が含まれているように思っています。 そういえば、オリオン座の形は、鼓の形に似ています。 ・・・というのは、何もあてずっぽうではありません。 というのも、鼓神社のあるこの中国地方には、どうも、「星三つが落ちた」 という伝承が散見されるように思うんです。 たとえば、この鼓神社から北へ車で30分ほどにある「真星」に鎮座する星 神社。 ここの案内板にも、「隕石が三つ落ちた」という説明がありました。 広島にある淀媛神社にも「隕石三つ」伝承がありますしね。 星三つといえば、オリオン座を連想するのは、それほど突飛じゃないんでは ないかと。 さて、「楽々森彦命」、「ささもりひこのみこと」と読みます。 「Dictionary of Pandaemonium」というサイトの、 「桃太郎」 を見ると、吉備津神社の社記に、この楽々森彦命の役職or別姓が、「猿飼部」 である、と書かれていますね。 猿・・・。 備中ではありませんが、このすぐ東の国、「美作」中山神社に伝わる猿神退 治伝承との関係はないのでしょうか? この猿神は、人身御供を要求したため、猟師により退治されてしまうのです が、吉備津神社の伝承では、猿飼部・楽々森彦命は、鬼退治をした英雄側な んですね。 大体、この楽々森彦命の娘が、桃太郎のモデルとされる吉備津彦の后なんで すから・・・、父である楽々森彦命が「鬼」では、都合が悪い。 しかし、どう〜も、ひっかかるんです。 そもそも、猿神が生贄を要求したというのはどういうことでしょう。 猿神が存在した、と考えるよりは、「猿」を象徴する神を奉祭していた人々 が、「生贄」の祭りをしていた。 ということでしょう。 そして、その風習が、猟師を象徴とする人々により止められた。 そもそも生贄とは、なんなんだろうか、と思います。 人が人を殺して、神に捧げたというわけですね。 それを止めた猟師とは、動物を殺して生活に供する人です。 今昔で、猪の生贄をやめて雀十羽に替えたという話が出てきますが、この 猿神退治の話も、人の生贄を動物の生贄に替えた、という話だったのかも しれません。 そして、そういう生贄の風習を持っていた人々が、吉備津彦に従って、温 羅という鬼を退治した。 これなら、矛盾はしません。 猿神退治の話で、猿神を退治したのは、猟師ですが、その猟師が従えてい たのは犬。 犬も吉備津彦命(桃太郎)に付き従った動物ですよね。 それを考えてみても、猿神は退治されたのではなく、犬・猟師の意見に従 って、人間の生贄を動物の生贄に替えたと考えても無理はないと思います。 その想像が正しければ、吉備津彦命とその仲間が倒した「鬼」とは。 鬼とはいろいろな意味が含まれる言葉だと思います。 鬼のイメージ。 自分より強く強大なものを恐れて「鬼」と呼ぶことがあるでしょう。 そして、追儺の鬼のように、弱者を「鬼」に仕立て上げ、追い払うことによ り、厄災を祓おうとする場合の「鬼」。 これは、「鬼」は最初から恐れられていたわけでなく、そのか弱い身に厄災 や疫病などを背負わされて、「鬼」となったわけです。 そして、金を持った人々を倒して、金品を奪いたいがために、彼らを「鬼」 に仕立てて、その奪略を正当化する場合もあるでしょう。 そして、これらの要素が入り混じって「鬼」となることもあるでしょう。 吉備津彦が倒した「温羅」という鬼は、製鉄の技術を持っていたと言います から、3番目の「鬼」であったように思います。 今昔を読むと、猟師のことは、「ケモノの命を奪う、成仏できない人々」と いう書き方をされています。 武士もまた「人の命を奪う人々」という書き方をされています。 それでは、「鬼の命を奪う人々」は、どういう人達だったのか。 もちろん、「奪う」のではなく、「奪わされてる」のが正解なのでしょうが。 鼓神社のご祭神は、楽々森彦の娘であり、吉備津彦命の后である高田媛命。 彼女は、これらの神話・昔話の中でどんな役割を? 鬼(化け物)退治のヒーローの妻になるのは、その「鬼」の生贄となろうとし ていた美女であることが多いのですが・・・。 こういう見方もできます。 桃太郎が、鬼の元から「救い出した」のは、数々の宝です。 高田媛命は、「宝物」だったのかも、知れませんね。