祭 神:木花開耶姫命 説 明:境内案内板を引用します 「御創建の年代は定かではないが。当神社のが始めて史書にみえるのは『続日本紀』 で、仁明天皇承和四年(八三七年)八月の条に『日向国子湯郡妻神、官社に預かる』 とあり、また、『三代実録』の天安二年(八五八年)の条にも神階昇格の記載がある。 更に平安時代初期に編纂された延喜式神名帳には、日向国四座の内児湯郡二座として、 都農神社とともに都萬神社が記載されており、当神社が、式内社といわれる所以であ る。中世から近世にかけ、当地方を治めた伊東氏、島津氏ともに供田を献じ、社領を 安堵するなど尊崇の誠を示している。その後、明治六年県社に列せられ、明治四十年 神饌幣帛料供進指定を受けるなど古来からの尊崇は明治以降も衰えることはなかった」 日本酒発祥の地の由来 「西暦七二〇年に編纂された『日本書紀』の中で、木花開耶姫の三皇子出産の部分に次 のような件があります。 『神吾田鹿葦津姫(木花開耶姫)卜定田を以て号(なづ)けて狭名田と曰ふ、其の田の 稲を以て天甜酒を醸みて嘗(にはなひ)す、又渟浪田の稲を用て飯に為して嘗す』 つまり、当神社の御祭神木花開耶姫が占いによって定められた田を開き、収穫された 稲で酒と飯(ご飯)を造られ、天照大神にお供えになり自らも召し上がられたという ことです。 お米を原料にして造った酒の最古の伝承で、現に神社近くに『酒元(さかもと)』と いう地名の集落もあります。 また、木花開耶姫が三皇子を出産された時、母乳かわりに甘酒でお育てになったとい う言い伝えもあります」 お乳の神様のいわれ 「都萬神社の御祭神、木花開耶姫の大神は、三つ子の皇子を無戸室の産室でおうみにな り母乳だけでは足りないので、狭田の稲で甘酒をお造りになり、これをお乳代わりと して御養育されたと伝えられ、今尚、秋の例大祭には甘酒を造って奉献する習慣がの こっています。婦人がお産されて母乳の足りない方はこの神社にお参りしてお参りし て祈願され、お乳が出るようになったら甘酒を持ってお参りされることになっていま す。 昭和四三年三月三日 都萬神社社務所 「妊産婦の方は産気づかれると御符とお石を枕もとにおいて、先に御符をお水でのんで お産の重いような時は、お石をしっかり握りしめ、手の熱がお石に伝わり、あたたか くなるころ、無事出産すると伝えられています」 住 所:宮崎県西都市大字妻1番地 電話番号:0983-43-1238 ひとこと:都萬神社のそばには、木花開耶姫に関連するたくさんの史跡が点在しています。 まず、木花開耶姫が水を汲んでいて、瓊瓊杵に見初められたという逢初川。 二人が新婚生活を送ったという八尋殿。 そして姫が火を懸けて出産したという無戸室(うつむろ)。 そして、姫が未婚時代、彼女に懸想した鬼にまつわる石貫神社。 木花開耶姫の御陵とも伝わる女狭穂塚。 面白いことに、女狭穂塚の方が、瓊瓊杵尊の陵墓と伝わる男狭穂塚より大きいんです よね。 古墳時代において、他地域から入り婿に来た男性首長がいたのかもしれませんね。 でも、権力は、神話が語るほどのものではなかったのかも。 木花開耶姫は桜の女神でもあり、日本酒の女神でもあります。 つまり、まさに日本を象徴する存在。 その女神の本拠地が、日本南端近くにあるというのは、どういった歴史のなせる技な のでしょうね。 私が参拝した時期、ソメイヨシノには少し早かったのですが、山桜が満開で、ちょっ と得した気分になりました。