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宇太水分神社 下社

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  祭  神:天水分神 国水分神 天児屋根命 品陀別命
  説  明:案内板から転載します。
      「宇太水分神社略記
       奈良県宇陀郡榛原町下井足、舟形山に鎮座まします。
       当神社の創祀は、太古の国史『三代実録』(奈良時代~平安時代に編纂された六国史本)によれば、
      『貞観元年(859)九月八日宇太水分神社へ風雨祈願のため勅使を遣わし、幣(お金や織物等)を奉っ
       た』とあるから、その由来は実に古く、水分神は『ミクマリ』と読まれ、五穀豊穣と、生命を宿す御
       神徳の高い農耕神として、人々の崇拝の対象とされてきたことを物語る。
       延喜式神名帳では、当水分者は葛城・都祁・吉野水分と共に、大和の四水分の大社とされていたが、
       応保年間(1160年)頃より芳野川にそって三所三座(当社・古市場社・芳野社)に祀られている。
      『延喜式登載』や『水分由来集』や『神体形相記』によると、玉岡(古市場)水分は男躰、田山(井足)
       水分は女躰、中山(芳野)水分は童躰とあって、かつて祭礼には、中山水分から田山水分まで神輿の
       渡御があったと伝えられている。
       明治の初め頃までは本殿を初め、附属の建物はすべて古い形式(春日造)であったが、明治十一年、
       神社形式令により県社の指定を受け、現在の神明造りになっている。
        平成九年五月」
       由緒書の内容はほぼ同じですが、一説が加えられていましたので抜き書きします。
      「一説には、古市場には天水分神、当社(下社)には国水分神、上芳野には若水分神を祀ったとある」
  住  所:奈良県宇陀郡榛原町下井足
  電話番号:
  ひとこと:宇陀水分に上・中・下にがあることを知りませんでした(^^ゞ
       上社が童躰で中社が男躰。
       この二つの社を神輿が渡御するっていうのは、何か不思議ではありませんか?
       
       男躰と女躰なら夫婦です。
       女躰と童躰なら母子。
       でも、男躰と童躰の父子ってのは、日本神話や神社ではあまり見ないような気がするんですが。
       
       また、上社は若水分神で童躰、中社は天水分神で男躰、下社は国水分で女躰ってことになりますね。
       天が男で、国が女。
       これは割と自然……ですが、記紀神話なら、天は天照で女、国は素盞嗚で男です。
       
       うむ。
       
       興味深いです。

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