renai

淀媛神社

yodohime




  祭  神:淀媛命 大山祇神 加具土神 高おかみ神 奥津比古神 奥津比女神
  説  明:境内案内板から転載します。
      「神功皇后西国へ下向の際、鞆の浦に御寄泊になり、海神大綿津見命を祀られ
       後還都の際、御妹君淀媛命を此の地にとどめ祭主として奉仕せしめられた渡
       守神社即ち沼名前神社の起因なり。
       淀媛命は玉依媛又虚空津媛命とも申される。
       数年後、此の地を去られたが、後世その徳をしのび氏神として奉斎、現在に
       至っている。」
  住  所:広島県福山市鞆町後地1225
  電話番号:
  ひとこと:この神社は、海に面して鎮座していて、海の向こうにぽっこりと見えるのが、
      「皇后島」。

       皇后とは、神功皇后のことなのでしょうか?
       もしそうだとしたら、この島についての説明がないことが、却って気になり
       ます。

       また、境内には、三つ石と呼ばれる「隕石」が祀られていて、その前に、案
       板が立てられています。曰く、

      「隕石(三つ石)
       沼隈郡誌に『往古流星三個此浦に隕つ(おつ)因って浦の名とす』とあり、
       年代不詳なれど如斯天なる隕石は希なり。
       爾来町民に珍重され、今日に至る。『星の浦』の地名も之に起因したもので
       ある」

       星の浦の地名・・・とありますが、この附近で、「星の浦」という地名は見
       つかりませんでした。

       googleMAPで、「星の浦」を検索しても、該当なし。
      「星浦」という地名は、「愛媛県越智郡大西町星浦」だけがヒットしました。

       確かに、しまなみ街道に面しているといえば言えますが、鞆の浦から20KM
       ほどありますから、この地のことなのかどうか。

       正直、合併などで地名が消えていくと、こういう時、困惑(笑)

       しかし、瀬戸内の島々には、何か、独特の雰囲気が漂っていたように感じ、
       大阪に住む人間の感覚で、急いで判断はできかねる気がします。

       ただ、「三つ石(隕石)」で、神功皇后といえば、いやでも思い出すのが、
       三筒男命でしょう。

       三筒男命は、神功皇后が、三韓に向うとき神託した神で、航海の道先案内を
       したように考えられていますね。

       また、「海の道先案内」ということから、星の神ではないか、という説があ
       るのです。

       そして、戦に勝つや、真っ先に、神功皇后から離れています。

       日本書紀によれば、
      「軍に従った、表筒男・中筒男・底筒男の住吉三神は、皇后に教えて言われる
       のに、『わが荒魂を穴門の山田邑に祭りなさい』と。
       穴門直の先祖、践立(ほむたち)。津守連の先祖、田裳見宿禰が皇后に申し
       上げて、『神の居りたいと思われる場所を定めましょう』と言った。そこで
       践立を荒魂をお祀りする神主とし、社を穴門の山田邑に立てた。」

       そしてその後、天照大神の荒魂・撞賢木厳之御魂天疎向津媛命は、廣田国に、
       天照大神の妹神である稚日女尊が活田長峡国に、事代主命は、長田国に、
       そして、ここでなぜかもう一度「表筒命・中筒命・底筒命」は、大津の渟名
       倉の長峡に、それぞれ祀られたと書かれています。

       三筒男命はそれだけ重要な神だったということかもしれません。

       そして、気になるのが、天照大神の妹神である稚日女尊の存在。

       彼女は、往路には出てこない女神です。
       それが、復路において、いきなり出てきて、活田長峡国に祀られたと記され
       ているんです。

       それが、「神功皇后の妹神である淀媛」と、何か通じるような気はしません
       か?

       しかも、その別名が、「玉依媛・虚空津媛」。
       
      「虚空津」という名はあまりにも意味深に思えます。

       神功皇后は、地域によって、いろいろに姿を変える女神であると思います。

       例えば、そもそもの九州においては、母としての性格が強いんじゃないかと
       思います。

       そして、淡島信仰においては、(病気により)流された悲運の女性としての
       性格が色濃く出ているように思います。
       同時に、大阪北部にある磯良神社に伝わる、境内の泉で顔を洗うや、美しい
       皇后のお顔がみるみる疣や吹き出物で覆われたという話を思い出します。

       太古からある時代において、「病者の島流し」が行われていたことは、想像
       に難くありません。病に勝つ方法を知らない時代、病者を隔離するしか、流
       行病を抑える方法がなかったことは、現在の伝染病に対する謂われのない偏
       見と同一視することは、決してできません。

       瀬戸内に浮かぶ小さな島々を見ながら、そんなことを考えずにいられません
       でした。
       それには、なんの根拠もありません。

       人類の長い歴史の中で、いろいろな事象が入り混じって、不幸や幸いを紡ぎ
       出していたことは間違いありません。

       ご由緒を読みながら、海に臨み、はるか遠く、どこかを見詰める女性の後姿
       が脳裏に浮かんでしかたがなかったのでした。

home 神社のトップに戻ります back