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熱田神宮

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  祭  神:熱田大神 天照大神 素盞嗚尊 日本武尊 宮簀媛命 建稲種命
  説  明:平成祭礼データを転記します。
      「名古屋市のほぼ中央に広がる緑の神苑「熱田の森」に鎮まります熱田
       神宮。古くから「熱田さん」・「宮」と呼ばれて親しまれ、年間1千
       万人に近い参拝の人々で賑わい、地元はもとより全国津々浦々から
       「日本の心のふるさと」として限りない崇敬と信仰を集めております。
       一、由来
       祭神 熱田大神(あつたのおおかみ)・相殿神(あいどののかみ) 
       天照大神(あまてらすおおかみ)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、
       日本武尊(やまとたけるのみこと)、宮簀媛命(みやすひめのみこと)、
       建稲種命(たけいなだねのみこと)
       祭神の熱田の大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎ
       のみつるぎ)を御霊代(みたましろ)として、よせられる天照大神の
       ことであります。天照大神は、言うまでもなく、皇室の御祖神として
       至高至貴の神と仰がれ、人々にいつくしみの徳をあたえられた神であ
       ります。また、相殿神は「五神(ごじん)さま」と呼ばれ、草薙神剣
       とゆかりの深い神々で、宮簀媛命、建稲種命は尾張氏の遠祖として、
       仰がれた神々でもあります。御鎮座は、日本武尊の御事蹟と深い関係
       があります。御父景行天皇から絶対の御信任を受けた尊は、御東征の
       帰途、尾張国造の御女宮簀媛命をお妃にお迎えになり、やがて草薙神
       剣をこの国に留めて崩じられました。その後、宮簀媛命は日本武尊の
       御遺志を重んじられ、神剣を今の熱田の地に祀られました。今からお
       よそ1,880年前になります。
       二、祭典
       年間約60度の恒例の祭典と、約10度の特殊神事が昔ながらの尊い
       手ぶりのまま、今に伝えられています。数多い祭典の大半が産業、民
       生と深い関係のあることは、熱田神宮の歴史的な特性をよくあらわし
       ております。中でも一番大きなお祭りは、あつた祭りの名で呼ばれる
       6月5日の例祭です。この祭りには天皇陛下のお使いとして勅使の御
       奉仕があります。また、初詣、1月5日の初えびす、5月8日からの
       豊年祭(花の撓)、七五三まいりなどは、殊に多くの参拝者で賑いま
       す。
       三、境内・社殿・建造物
       境内は、古くから雲見山・蓬莱島の名で知られ、大都会の中心にあり
       ながら静かで、市民の心のオアシスとして親しまれています。面積約
       190,000平方米(約57,600坪)、境外地をあわせると約
       539,000平方米(約163,400坪)にのぼります。神苑の
       樹木はクス・ケヤキ・カシ・シイ・ムク・イチョウ・クロガネモチ等
       比較的広葉樹が良く育ち、ことにクスは巨木が多く、樹齢千年前後と
       推定されるものが数本あります。有名な木には、弘法大師お手植と伝
       える「大楠」、花が咲いても実のならない「ならずの梅」、茶人の愛
       好する「太郎庵椿」などがあります。境内外には、本宮の外、1別宮、
       12摂社、31末社が祀られています。本宮社殿の構造は、古くから
       尾張造という特殊な様式でありましたが、明治26年から神明造に改
       められ、現在の社殿は昭和30年の御遷座であります。著名な建造物
       は、西楽所・清雪門・信長塀・佐久間燈篭・二十五丁橋等があり、先
       の大戦後逐次造営されたものに、神符守札授与所・神楽殿・勅使館・
       能楽殿・土用殿・文化殿・宝物館・斎館・会館(結婚式場)・宮庁・
       龍影閣・千秋閣・参拝者休憩所・茶席等があります。
       四、宝物
       当神宮には、その尊い由緒からも、長い歴史の上からも多数の貴重な
       宝物があり、総数は4千余点にのぼります。そのうち百点近くが国宝及
       び重要文化財に指定されています。その所蔵品は、縄文時代から現代に
       および、朝廷、代々の幕府、戦国の武将、尾張藩公からの寄進から一般
       庶民のまごころこもる献納品までで内容は、書跡、絵画、彫刻、工芸、
       和鏡、刀剣等多岐に亘ります。このうち特に有名なものは、熱田本日本
       書紀、法華経涌出品、舞楽面、菊蒔絵手筥、古神宝、来国俊の短刀をは
       じめとした刀剣類等であります。これらの宝物は宝物館で順次展観され
       ています。」
  住  所:愛知県名古屋市熱田区神宮1−1−1
  電話番号:052−671−4151
  ひとこと:この神社は、全国的に有名ですね。
       さて、このご祭神のうち、相殿五神様(天照大神・素盞嗚尊・日本武尊・
       宮簀媛命・建稲種命は、草薙の剣とご縁の深い神々である、とあります。

       具体的にどのようなご関係かを見ていきましょう。

       天照大神は、この由緒を見る限り、主祭神、熱田大神と同一の神である、
       と言ってもよいわけですね。
       ただし、記紀では、草薙の剣を大和武尊に与えたのは、叔母である、倭
       姫ですが・・・。倭姫は天照大神を奉祭して、伊勢までの長いご遷座の
       旅を続けるなど、天照大神にご縁の深み姫君。草薙の剣も、倭姫を通じ
       て、天照大神から、大和武に与えられた・・・ということなのかも?

       また、素戔鳴尊は、八俣の大蛇を退治し、草薙の剣を手に入れた神様で
       すから、非常に納得です。
       草薙の剣は、八股の大蛇の尾の中から出現したんです。

       大和武尊は、草薙の剣で、朝廷に逆らう部族を倒した英雄。

       宮簀媛命は、大和武尊の最後の奥さんですね。

       それじゃあ、建稲種命は?
       しおりを開きますと、

      「建稲種命は、乎止與命(おとよのみこと・宮簀媛の父神)の御子で、宮
       簀媛の兄にあたる神である。日本武尊の東征には一軍の将として従い、
       軍功があり、そのうえ宮簀姫命と力をあわせ、数々の神徳を示され、尾
       張地方の基礎をひらかれた。」
       とあります。

       とありますね。

       ふぅむ。

       記紀にはその「事実」は記されてないようです。
       また、この神社のご祭神の表記は、「日本武尊」「簀媛宮命」ですが、
       この表記をしている日本書紀には、日本武尊東征の「往路」に、尾張に
       寄ったということは書かれていません。
       復路に尾張に立ち寄り、簀媛宮を妻にしたとなっています。

       往路に尾張に立ち寄ったとしている、古事記の表記では、「やまとたけ
       る」は、「日本武尊」ではなく、「倭建命」。「みやずひめ」は、「宮
       簀媛命」ではなく、「美夜受比売」になっています。

       で、ヤマトタケルは、往路でミヤズヒメと結婚の約束をし、東へ向かい
       ます。

       ただし、この「往路でミヤズヒメと結婚の約束」という、軽いエピソー
       ドは、「弟橘姫の死」に絡ませると、何か重大な意味を持つ感じがしま
       す。

       弟橘姫・・・オトタチバナヒメは、ヤマトタケルの東征時の妃(妾)で
       すが、難所・走水の海を渡る時に、生贄として海神に捧げられるのです。

       古事記・日本書紀ともに、生贄になることを申し出たのは、姫の方から
       だと書いています。
      「ヤマトタケル様には、これからされるべき、大事な仕事があります。私
       が代わりに、海に沈みましょう」
       と。

       この時ヤマトタケルを襲った嵐が、ヤマトタケルが海神をバカにしたた
       めだ、としているのは、日本書紀だけですが、記紀共に、ヒメは、「御
       子の身代わりにワタクシが」と言っています。

       本来、海神に捧げられるべきだったのは、ヤマトタケルだったというこ
       とだ、といえるかもしれません。

       としたら、古事記には書いていませんが、ヤマトタケルが海神をバカに
       したのが、やはり、嵐の原因なのかも。

       としたら、ちょっと最低なことになります。
       古事記では、オトタチバナヒメを「妃」。日本書紀では「妾」と表現し
       ています。
       もちろん、私が持っているのは、現代語訳ですから、そこらへんで、何
       か錯誤がある可能性はあるのですが、これを信じる限りは、日本書紀で
       は、「妻の一人で、その中でも、身分が高いとはいえない」という風に
       表現しているオトタチバナヒメを、古事記では、「妻の中でも位が高い
       かも(三省堂の『漢辞海』では、『后(きさき)』は皇帝の第一夫人、
      『妃(きさき)』は、第二夫人で、『后』に次ぐ地位である、としていま
       す。)」と表現していることになるわけですよね。

       古事記では、非常にいやらしい見方をすれば、「他にミヤズヒメという
       愛人ができたから」、東征にまで連れていった、愛妻オトタチバナヒメ
       を、生贄に出した・・・なんていう風にも読めないこともない・・・。
       なにしろ、このタケルくん、ミヤズちゃんには、かなりのご執心なんで
       す。

       やっと結ばれることになった夜、ミヤズ姫のところには、先にお月様が
       訪れていました・・・なぁんていう言い方をするとややこしいので、は
       っきりきっぱり言うと、月経の真っ最中でした。
       でも、ヤマトタケルは、「気にしないよ」と、何事もなかったように、
       夫婦になっちゃうんですから。

       ですが、まぁ、これは、下衆の勘ぐりというやつでしょう(笑)

       話を「建稲種命」に戻します。

       前述のとおり、この神様は、記紀にはでてきません。
       そして、栞によれば、「宮簀媛命、建稲種命は尾張氏の遠祖として、仰
       がれた神々でもあ」るわけです。

       実際、摂社の中でも、特別の感がある、上知我麻神社には、乎止與命が。
       下知我麻神社には、その妻、真敷刀べ(にんべんに卑)命が祀られてい
       ます。

       ・・・ということで、これは、いわゆる「トンデモ説」になるかもしれ
       ないし、反対に、「識者の間では常識」かもしれないのですが・・・

       つまりですね、ここでも、「熱田大神」は、乎止與命ファミリーに、婿
       入りしたんじゃないか、と思うのです。

       もともとこの地には、乎止與命とその妻、そして、その息子・娘を祀っ
       た由緒正しく、地元の人に愛される神社があった。
       そこに、熱田大神と呼ばれる、天照大神・ヤマトタケルの神が、転入し
       たのが、今の熱田神宮ではないか、と。

       ちょっとした解説書を読めば、この考えが、「いわゆる常識」かどうか
       くらいはわかるんですけど、こんな大きな神社で、それをやっちゃうと、
       面白くないんで、ここに書くのはやめときます。
       それが、このサイトの「特色」なんだもん・・・と開き直ってます?
       すいませんですm(__)m

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