祭 神:譽田別命 説 明:譽田別命・応神天皇・八幡明神・八幡大神、そして八幡大菩薩。 さまざまな呼ばれ方をする神様ですが、どの呼ばれ方にしても、 一貫して、武勲の霊験あらたかな神様であられます。 住 所:大阪府松原市小川 電話番号: ひとこと:不思議なのは、これだけ武勲の神様として全国で祭祀されてい る応神天皇が、戦で武勲をあげたわけではないということです。 母親である神功皇后は、三韓征伐を(日本の主張では)してま すが、応神天皇は、神功皇后が凱旋した後の子供です(船の中 で産気づくんだけれども)。 ただ、応神天皇の時代、朝鮮半島との行き来が活発になり、国 としての土台ができた時代であったそうです。 中国の史書で、「晋」という名の帝王が出てくるそうなのです が、これが応神天皇のことではないかと言われているのだそう です。 面白いのは、古事記によると、この天皇は、甲午年九月九日に 130歳で崩御されたことになっていることでしょうか。 この時代に中国の陰陽に関する思想はもう入ってきていたので しょうね。 「きのえうま」つまり木の陽の性質の強い年の、陽の数字のうち 最大の数・9を重ねた月日に亡くなっているのです。 この天皇が「陽」の気質が強かったことが、わかります。 ただし、陰陽の考え方では、偏ることはよしとされないようで す。ですから、3月3日・5月5日・7月7日・9月9日は、 「節句」のお祭で、厄を祓います。 日本では、3月3日は桃の節句。5月5日は端午の節句。7月 7日は星の節句ですね。陽が重なって、偏った日はよくない、 とされたのです。 特に、9月9日は、「重陽の節句」。一番大事な節句とされて います(日本では、菊の節句といわれる)。 それに、まだ陽である甲午年に亡くなった、「陽の気」が強す ぎる天皇に、古事記の筆者はどういう気持ちを抱いていたので しょうね。