祭 神:葛木ニ上神社:豊布都霊神(建御雷神) 大国御魂神 葛木倭文座天羽雷命神社:天羽雷命 加守(掃守)神社:天忍人命 説 明:三つの神社が合祀されているようです。 豊布都霊神は、別名建御雷神となっていますが、国を譲った 側の大国主命と一緒に祀られています。 葛木倭文座天羽雷命神社の祭神は、天羽雷(あめのはづち) 命。倭文(しとり)の祖であると説明され、天照大神の荒衣 和衣を織り、天孫・瓊々杵尊が降臨した時、御衣織として共 に降臨された神であるそうです。 加守(掃守)神社の祭神は、天忍人命。掃守の祖であると説 明されています。古語拾遺に、鵜草葺不合命が生まれた時に、 この神が、海辺に宮室(産屋)を建て、箒を造り、蟹を掃う。 是を以って蟹守と言ふとあります。 祓えの神様であるようです。 住 所:奈良県北葛城郡當麻町染野二上山 電話番号: ひとこと:天羽雷命について、この神社の説明は、織部であるというこ とだけですが、日本書紀第二九段に 「大国主神は国を平定した際の矛を二柱に奉り服従したが、ま だ服従しない神がいた為、二柱は力でその者達を屈服させた。 唯星の神香香背男のみは最後まで屈しなかった。 そこで倭文神建葉槌命(シトリガミハケハツチノミコト)を 遣わし、これを服従させた。」 というくだりがあります。つまり、建御雷神でさえ制し得な かった神・香香背男を服従した神様なのです。 それが、なぜ、織物の神様なのでしょう? 天稚彦が返し矢で亡くなった時、阿遅志貴高日子根が、死者 と間違われて、怒って飛び去った後、下照姫が歌った歌、 「天(あま)なるや 弟棚機(おとたなばた)の頸(うな)がせる 玉の御統(みすまる)、御統に 孔玉(あなだま)はや。 み谷(たに) 二(ふた)わたらす阿遅志貴高日子根(あぢしきた かひこね)の神そ。」 阿遅志貴高日子根を表現する時に、弟棚機の首にかけた玉のよ うな・・・と言っていますね。 弟棚機の「弟」とは、「若い」という意味だそうです。 若い織姫の首に・・・。なぜ、織姫の首なのでしょう? 鳥取県にある、倭文神社の祭神は、今は、建葉槌命なのだけれ ども、大正までは、下照姫が祀られていたんだそうです。 下照姫と倭文(しとり=織物)も何か関係があるのかも知れま せん。 う〜ん、そう言えば、素盞鳴尊が、天の斑駒の生皮を、機屋に 投げ込んだ時、驚いて、梭でホトを突いて亡くなってしまった 姫の名は、「稚(わか)日女」ですね。 一説では、素盞鳴尊は、星の神(同時に生まれた、天照大神が 太陽で、月読命が月であるから、素盞鳴尊は星であろうという 考え方ですが)であるという説がありますね。 このように、織部と星の対立があちらこちらで見られます。 しかも、星の神は、大概「悪神」として描かれます。 織部がこの悪星神に勝るのは、なぜでしょうね? 倭文は、非常丈夫な織物であったようで、万葉集などにもでて きます。その織物で、ふんじばったとか?? とにかく、悪い星には、強い布が効くということを覚えておき ましょう。