祭 神:天照皇大神 応神天皇 菅原道真公 説 明:社伝によれば、今を遡る千百有余年、菅公筑紫へご左遷のおり この地へ立ち寄られ給い、百姓漁人に高徳を施したるを、後年 村人達は、その余徳と温情を偲び、慕ふ切なる情けから、敬仰 し、祠を建立し、篤く祀ったのが起源なのだそうです。 その後、永禄十年荒木摂津守村重花隅の要害に依る築城に際し、 社地はこの搦め手に当たるので、鎮護のため、八幡宮を勧請し たが、天正年間、兵火の冒すところとなったそうです。 天照皇大神の祭祀の年代は不詳だそうですが、延宝九年辛酉三 月八日尼崎藩主青山大膳亮知行所云々の古い記録によれば、ニ 百六七重年余年から奉祀していたのだそうです。 また、この地が、「走水」と呼ばれるのは、足利時代より、旧 花隈村のうちに、近在まで音に聞こえし、清水が昏々として清 冽な水が沸き出でていたからとも、寿永の昔から、間人(はし うど)氏一族が永住していたからだとも言われています。 住 所:兵庫県神戸市中央区元町通5丁目 電話番号:078−341−2028 ひとこと:私は不明にして、知りませんでしたが、荒木村重という武将は、 結構有名な武将なのですね。 摂津に、有岡城を構えた、織田信長の臣下。 後に謀反を起こします。 もしかしたら、「三日天下」は、この荒木村重のことを指す言 葉となっていたかも・・・。 荒木村重が、この地に築城した城というのは、どうも花熊城の ことのようで、今は、福徳寺の寺門に、「花隈城天守閣の跡」 という石碑がたっています。 とりあえず、風水の話題もあったことですし、花熊城から見て、 走水神社の位置がどの方角にあるか調べてみましたが・・・。 ほぼ南。少し西より・・・でした。 朱雀・南・夏・赤・の方角に走水・・・。うむむ。 水は、玄武・北・冬・黒・・・に関連しちゃうんですがね。 火の方角に水をしつらえたから、謀反が成功しなかったんちゃ うんかい・・・。と素人ながら思います。 ちなみに、火と水を調和するのは、「木」です。 水は、木を育て、木は火を起こすからです。ですから、青龍・ 東・春・青・・・に関するものが調和材になるのですが。 平安京が、風水の観点から、完璧に作られているというのは、 有名な話で、江戸もまた、天海僧正により、風水好地に作りか えられていると言います。 平安時代と江戸時代に挟まれた、戦国時代は、「風水よりも、 武力だいっ!!」の時代だったんでしょうか? 信長の家臣ですしね(^-^;;; さて、この神社には、菅公にちなんで、「筆塚」があります。 菅公の能書家である部分に観点を置いてるんですね。