祭 神:饒速日命 説 明:栞によりますと、 「御祭神 饒速日命は古代の空の神といわれ、天津神のみことのりをうけて、 『天爾瑞宝十種』を奉じ、お供の神三十二神を従えて天磐船という 飛行機に乗って、河内国河上の哮峯に天降られた。 そこから再び天磐船に乗り大空を翔行き大以倭国鳥見白庭山に遷 り坐した神様です。 命が天降られた哮峯には、磐船神社(大阪府交野市私市)があり、 ご神体は天磐船といわれる大石でその形が大船に似ているところ から信仰の対象となっています。 飛行神社は、饒速日命と磐船神社のご分霊を正面社殿に祭神とし て鎮座、右の社殿には航空殉難者の霊を合祀、左の社殿には薬業 に関係の深い薬祖神を祀っています。 別社として、福徳をもたらす常磐稲荷社がある。 社伝・略記 飛行神社を創建したのは、明治二十四年四月二十九日香川県丸亀 の歩兵第十二聯隊練兵場において、日本人として最初のゴム動力 によるカラス型飛行器の飛行に成功した愛媛県八幡浜出身の二宮 忠八です。慶応二年(1866年)六月、海産物を商う二宮家の 四男として出生。少年時代忠八はおとな並の考えを持つ変わり者 とみられていた。 忠八、十二のとき、父がこの世を去り、働くこととなる。明治十 三年伯父の薬種商の手伝いをするうち、物理や化学に深い興味を もち、また測量技師の手伝いをするなど働きながら独学で得た知 識を生かして、独創的で奇抜な凧を作り、人々の感心をよび、 『忠八凧』と呼ばれた。 明治二十八年(1887年)十二月、丸亀の歩兵十二聯隊付の看 護卒として入隊、明治二十二年十一月四国山岳地帯で行われた、 秋季機動演習中現在の香川県仲南町樅ノ木峠で昼食をとっている と、烏が四〜五十羽残飯を求めて谷を横切り、翼を広げ固定翼で 滑空しているその姿に興味をしめし観察する。それが忠八の空を 飛ぶ機械発明の大ヒント(飛行原理の発見)となる。 以後研究を重ねて『カラス型飛行器』を完成し、飛行に成功、次 に人の乗れる玉虫型飛行器を考案、明治二十六年設計を完了し、 試作実験に入る矢先、日清戦争が起こり出兵、戦場の様子を見て、 自分の考えている飛行器を軍に供用すれば、便利であろうと考え、 軍用機として軍によって研究開発してもらうべく、飛行器の設計 図を上申書に添えて願い出たが却下される。 忠八は、独力で作るしかないと決意し軍を除隊。日頃より信仰の 強かった讃岐の金刀比羅宮に産経して、飛行機の独力完成を祈願 する。明治三十一年忠八、三十三歳のときである。 大志を持つ忠八は、大日本製薬株式会社に入社、職工として活躍 し、品質のよい薬品の製造に心を注ぎ功績を上げて会社の発展に 尽力した。 ようやく自力で飛行機開発の条件が整い、資金も貯えられた明治 三十三年、忠八の出身地とよく似た地名の京都府八幡町に土地を 求め、完成に向けて努力していた。ところが、明治三十六年(1 903年)十二月十七日アメリカのライト兄弟が飛行機を完成し、 今飛行機を作ったとしても『欧米追従の飛行機』ライト兄弟の真 似をしたという評価しか受けないだろうと製作を断念したのです。 日清戦争の戦場で開発を上申して却下されたが、大正八年(19 19年)おもわぬことからその功績が認められる。 世界はいよいよ飛行機の時代へと動き、飛行機による犠牲者が多 く見られるようになる。それを知った忠八は、同じ飛行機を志し た人間としてこれを見過ごすことはできないと、その霊を慰める ために大正四年に八幡(現在地)の自邸内に私財を投じて飛行神 社を創建し、航空安全と航空事業の発展を祈願したのが当神社の 起こりである。 現在の社殿、拝殿、資料館は、平成元年飛行原理発見百周年を祈 念して、忠八翁の次男、二宮顕次郎によって建てかえられた。」 とあります。 住 所:京都府八幡市八幡土井44番地 電話番号:075−981−1700 ひとこと:シンクロニティーっていう言葉があります。 日本語では、「共時性」って訳されます。 ユングが提唱した説なんですが、噛み砕いて言えば「偶然の一致」 つまりですね。 私が、今、「あぁ、酒飲みたい」と思ったとしますね。 会社にいる旦那も同じ時間に「奥さんに酒買って帰ってあげよう かな」なんて考えたとします。 これが、シンクロニティーですね。 「意味のある偶然の一致」と説明されることもあります。 二宮忠八とライト兄弟が日本とアメリカという離れた場所で、同 じように、「飛行機を作りたい」と思ったというのも、一種のシ ンクロニティーじゃないかなぁ、と思います。 「空を飛びたい」という思いは、何も近年に起きたもんじゃないで しょう。 それを、実現するために、現実に図面をひいたり、計画書をたて たり、精力的に行動した人間が、同時期に存在した。 時代が飛行機を求めてたのかも知れません。 こんな話を聞いたことがあります。 時代が求める人物っています。 例えば、坂本竜馬。 アインシュタイン博士もそうだろうし。 歴史の教科書に載っている人物は、たいがいそうだと言えると、 思います。 そういう人物がこれからことを成そうとする時、この世の全て のものが、彼をフォローアップするのだ、と。 だから、喩え危険な地帯に赴かねばならぬ時でも、彼だけは、絶 対安全なのだ。と。 しかしですね、この説は、志半ばになくなった人に対して、非常 〜〜〜〜〜〜〜〜〜っに!失礼な話です。 「俺は時代に必要とされてなかったんかい!!」 ねぇ? だから、これは、あとづけの理屈です。 もしくは、その心意気で前進せねば、大事は成せないということ もあるかも知れません。 さて、この神社のご祭神は、矢田坐久志玉比古神社のご祭神・饒 速日命。 この神社も、飛行祖神として、饒速日命をお祀りしています。 矢田坐久志玉比古神社の宮司のお話によれば、飛行神社の創建者 二宮顕次郎氏は、矢田坐久志玉比古神社を訪れておられるのだそ うです。 古の神が、新しい時代に、新しい性格を付与されて甦る。 神は不滅だというのは、こういうことなのかも知れません。