祭 神:廣国押武金日命(安閑天皇) 説 明:安閑天皇は、第27代天皇で、継体天皇の長子。 西暦531年に即位され、535年に退位されています。 都を、大和の勾の金橋(まがりのかねばし)に設けられ、御 陵は、この神社のほぼ真東、羽曳野市の高屋丘陵にあります。 住 所:大阪府南河内郡美原町大保 電話番号:0723−62−1859 ひとこと:日本書紀によりますと、この天皇は幼少より器量にすぐれる ことは、計りきれないほど。武威にすぐれ、寛大であった・ ・・とあります。 普通の器量なら、計れるのか。知りませんでした。 さて、4年という超〜〜、短い在位期間中に何があったのか を追ってみましょう。 秋7月1日、天皇は、「皇后の宮殿を建てて、後の世に残し たい」と、大河内直味張(おおこうちのあたいあじはり)に 勅使を通じて良田を差し出すように言ったとあります。 ところが、どれくらいの広さの土地をご所望だったんでしょ うか?味張は、土地がにわかに惜しくなって、「うちの田ん ぼは、いしばっかりで水はけも悪ぅて、しかも、水が十分に 引けまへんねん」と申し上げるわけです。(すぐバレるっち ゅの。浅墓なり) 結局、天皇が三島(郡)に行幸の時、嘘がバレ、「今後、味 張は、郡司の役にあずかることはならぬ」という沙汰が下り ます。 なるほど、寛大だ。 「打ち首ぢゃ!!」じゃないんですね。 大河内直味張は、河内県の郡司だったようですから、その後 しばらく、「河内」が、軽んじられていたのは、彼のせいか? ん〜〜む、許せんなぁ。 さて、この廣国神社ですが、非常に静か。 宮司は、普段は大阪から通っておられるようで、この日は留 守でしたが、祭神を書いた額や、由緒の看板の字は宮司の字 でしょうか? 非常に味のある良い字でした。