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加波山三枝祇神社

kabayamasaenazumi




  祭  神:伊荘册命 速玉男命 事解男命 火具土命 八雷命 日本武命
       庚申神命 猿田彦命
  説  明:栞には、
      「加波山本宮神社・御祭神は、伊荘册命・速玉男命・事解男命・火具
       土命・八雷命・日本武命・庚申神命・猿田彦命を合祀せる神社であ
       ります。
       古来より福徳開運五穀豊饒災厄除の守護神として尊崇せられます。
       景行天皇の十四年皇子日本武尊の勧請により創始せらるゝ名神にし
       て、六国史に所載せる事明らかであります。
       鎮火祭及び火渉祭は今を去る五百三十年応永二年源海大僧都加波山
       修験道道の再興にあたり、十有余年当社に参籠せし時、神徳を仰ぎ
       秘法の奥義を極め大火焔を焚き一切の災厄消滅の祈誓を乞へ開運福
       徳長寿を祈らせ給へし時の行事にして今も尚、伝承せる秘法にして
       恒例により毎年冬至の当日社前に於いて火焔を焚き先達の先導にて
       行事を執行致し祈願の善男善女を火焔の中に導き参らせ年中の災厄
       を消滅し福徳長寿安全の祈願を致すものであります。」
       とあります。
  住  所:茨城県真壁郡真壁町長岡
  電話番号:
  ひとこと:この神社の御祭神の顔ぶれは興味深いですね。
       伊荘册命・速玉男命・事解男命は、熊野本宮大社のご祭神。
       火具土命と八雷命は、その伊荘册命の死に関わる神々。
       火具土命は、ご存知火の神様で、この神様を産んだため、伊荘册命
       は亡くなりますし、その死体に沸き出でたのが、八雷命です。
       つまり、死の穢れに大いに関わる神様なんです。

       熊野、黄泉の国があるといわれる土地から、これらの神々を勧請し
       てきたのでしょうか?

       ちなみに、速玉男命・事解男命は、伊奘諾尊が黄泉の国で伊奘冉尊
       と永遠の別れをした後、吐いた唾と、掃き払った後に生まれた神で、
       いわば、八雷神とは、相反する立場にいる神様だといえますね。

       そして、この神社の創建に関わった、日本武命。
       庚申神というのは、道教に関わりますから、多分、随分後に合祀さ
       れたんでしょうか。

       人間の中にある三尸の虫が、庚申の日になると人間が寝てる間に、
       天へ上り、宿り主の悪事を天帝に告げ口するという道教の教えに基
       づく行事が、「庚申待ち」で、この日は、虫が抜け出ないように、
       一晩寝ずに起きていなくてはいけないんです。
       また、三尸の虫を体から排除することが、仙人になる第一歩である
       とも考えられていたようです。

       つまり、この三尸の虫は、どちらかというと、悪玉で、「神様」で
       はないようです。

       とすると、庚申神とは?
       多分、人間が寝ないように、と、見守ってくださる神様か、万が一
       寝てしまっても、三尸の虫が天へ行かないように邪魔してくださる
       ような神様を、人間は考え出したのかも知れません。
       もしくは、「天帝」かな?
      「悪口を聞いても、許してくださいね〜」ってなことだったのかもし
       れません。

       ちなみに、この「庚申」「かのえさる」ですよね。
       そんなことからか(?)、庚申の神様と猿田彦命は結び付けられて
       考えるムキもあるようです。

       あと、三尸の虫の「三」と「猿」からでしょうかねぇ?
      「みざる いわざる きかざる」を刻んだ庚申塔もよくあるようです。

       とにかく、民衆にとっては、庚申待ちの日は、村のものが集まり、
       夜を徹して飲み食いする、楽しい行事だったようで、えらく流行し
       たのだそうです。

       流行したってことは、いろんな話がくっついてくるわけで。
       もともとどんなものだったのか、わかりづらくなっております。

       そんなわけで、ある時代、この神社で「庚申待ち」が行われてたん
       じゃないかしらん、などと想像して、ちとにたりとしてしまうので
       ありました。
       神社で庚申待ちかぁ。おおらかでいいなぁ。

       さて、このご祭神の中で、「八雷神」を祀る神社はとても少ないの
       で、この神々について見て見ましょう。

       日本書紀一書(第九)では、逃げる伊奘諾尊を追いかける役目もし
       ており、伊奘冉の頭から大雷、胸から火雷、腹から土雷、背から稚
       雷、尻から黒雷、手から山雷、足から野雷、陰から裂雷が沸いてい
       た、としています。

       古事記では、ちょっと違っていて、伊邪那岐神を追っかけるのは、
       黄泉醜女。
       雷の名前と沸き出た部位も少し違って、
       頭から大雷、胸から火雷、腹から黒雷、陰から柝雷、左手から若雷、
       右手から土雷、左足から鳴雷、右足から伏雷。
       としています。

       同じ、伊奘冉の死に関連する神でも、火具土神は、そこから、穀物
       の神である稚産霊神を産んだりしていますし、火の神様という性格
       から、火伏の神としてあちらこちらで祀られているのは、わかりま
       す。

       でも、この八雷神は、性質がいまいちはっきりしないというのと、
       そのものが死の穢れから生まれているということで、祀られている
       原因が何か、とても気になるところです。

       死体から生まれた雷の神様に何をお願いしたいですか?

       なんのためにここにお祀りされてるんでしょうね。

       それこそ、「我に苦しみを与えたまえ」的なノリだったのかも?

       もしくは。
      「不浄観」
       ってご存知ですか?

       蛆のわいている死体を観想することで、どんなに美しい人も、物も
       腐れば醜くなる、と、悟ることを目的としているようで、それによ
       って修行の邪魔になる、美しいものに対する執着を解こうというも
       のらしいです。
       なんか、変な理屈であるような気もしますけどね(^^ゞ
      「腐れば醜くなる」って、今現在は腐ってないってばさ。
       取れない葡萄は酸っぱいってのと一緒のような気がするぞぉおおお。

       とにかく、その不浄観を考えてみれば、蛆のわいた体から派生した
       神様をお祀りした人は、何か修行の身だったのかな?という気はし
       ますね。

       加波山は霊場ですから。
       そんな経緯だったのかもしれませんね。      

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