祭 神:大伴連金村公 説 明:日本書紀では、武烈・継体・安閑の3代の天皇に仕えたこと になっている、古代の英雄をお祀りした神社です。 式内社。 住 所:奈良県北葛城郡新庄町大屋213 電話番号: ひとこと:大伴金村公は、仁賢天皇11年(498年)仁賢天皇が崩後 されたあと、太子(後の武烈天皇)の要請により兵を起こし、 大臣平群臣真鳥・鮪(しび)父子を攻め滅ぼします。 武烈天皇がを即位すると、自らは大連となります。 武烈天皇8年(506年)天皇が崩じた、翌年1月、物部麁 鹿火(あらかひ)大連・許勢男人大臣らを越前三国へ派遣し、 応神天皇の五世孫、男大迹王(おおどのみこ・継体天皇)を 迎えさせ、天皇即位を促したのも、この金村公です。 その後も、国外・国内で活躍したのち、欽明天皇1年(54 0年)政界を退き、政治的指導権は物部氏・蘇我氏に移行し てゆきます。 つまり、かなり長きに渡って、政治的手腕を振るった人物で 功績も、立派なもんなんですが、なぜ、こんなに小さな祠? いや、祠が小さいのは、焼失してしまったからなのかもしれ ないのですが、この手入れのされてなさは??? まるで参拝者を拒むかのような叢の奥の祠は、きれいに掃除 されておりました。 金村公は、子孫以外の参拝を好ましく思っておられないので しょうか?